食べる力の衰え

今の仕事がほぼ定時上がりな仕事なのと、両親の夕食のタイミングが早めなのとで、平日の間は朝飯7時、昼飯12時、夕飯18時ってパターンがきっちり守られてて、しかも両親といっしょなのでそんなに荒れた食事をすることもなく、普通に健康的な食事を取っている。



でも、週末になると朝は遅く起きがちだし、食事の時間は適当になるし、平日は外食しない分、週末は外出のついでに外で食べてくることが多くて、荒れがちな食生活になりがち。



歳を取っていろいろと身体能力が衰えていくのを感じるけど、その中でも予想以上に衰えが大きいのは消化能力な気がする。食べることに関する消化能力のピークは20歳くらいの頃で、20代後半からじわじわと量が食べられなくなってきて、30代に入ると明らかに以前のようには食べられなくなった。


量をたくさんとか、消化の悪い物(肉とか油多めな料理とか)を食べた後、自分の身体が消化するのに物凄いエネルギーを使ってるのを感じる。消化にエネルギー取られるので、他の活動はほとんどする気にならないくらいにテンション下がる。

晴れて、春で、テンション上がる金曜日の夜

今週は週末になるにつれて天候が良くなってきて、今日は快晴。



GW明けてからというもの、雨が続いたり、この辺特有な霧の日が多かったりして、あまりウォーキングに出かけてなかったんだけど、今日はあまりに天気が良かったので昼飯後に職場周りを歩いて来ました。やっぱ天気良くて日光浴びるとテンション上がりますね。


最近は、晴れてて体調良い日は昼食後に職場周りをぐるっとひと回りウォーキングしてます。普段は夕食後に自宅周りをつまのひととふたりでグルっと回るウォーキングの日々なんですが、もっと距離歩きたいのと一人でiPhoneとかで音楽聴きながらもくもくと歩くのも結構好きなので。高低差あるコースなので地味にキツイくてもうちょっと暖かくなったらコース変えないとダメかも。



近場の公園の桜も咲きかけ。やっと、やっとですよ。北海道の道南〜道央辺りは今週末、花見シーズン真っ盛りですね。晴れそうだし。



一日24時間じゃ足りなくて36時間欲しい、週末二日の休みが待ち遠しい、なんて思いながら暮らしてると、月火水木金と週末に近づくにつれてテンション上がります。もう金曜日は花金、ですよ。次の日が土曜日で休みなだけじゃなくて、その次も休みなんですよ! ここでテンション上がらず、何時盛り上がるんだ!的に気分が盛り上がる金曜の夜です。



普段はほとんど晩酌したりはしないんですが、金曜はテンション上がるから飲みたくなります。平日が基本的に規則正しく3食食べる生活を送ってると、なんかこう反動で飲みに行きたくなる病。なんせ一人暮らし歴が長くて外食してる率もそれなりに高かったですから、ずっと自宅で食事してるとなんかモヤモヤ。

twitterfacebook眺めてると、タイムラインやらニュースフィードやらにあちこちの美味しそうな食べ物が流れまくってくるのも金曜の夜の気分の盛り上がりに拍車をかけます。



そんな訳で、ぷらっと飲みに行って来ました。近所で室蘭やきとり。

飲みながらつまのひとと話してたんだけど、金曜の夜はどうしたって開放的になって飲みたくなるので、普通に晩飯を晩酌にすればいいんじゃ? 自宅で酒の肴的な晩飯にすれば、わざわざ飲みに出かけなくてもいいし。

毎年iPhoneが増え続ける家のサポート業務

僕らは笑顔でゴミを7万円で売っていた。 | ふじさわブログ」を読んで。

Android端末は購入したことないですけど、当時ネット上で7万円の……の話題はよく見かけましたね。うちでも、つまのひとがAndroid端末を使ってますがHT-03AXperia ray SO-03Cと使ってるのを見てて、GPSがちょっとアレなのを除けばまあ普通に使えてるようですけど。



気づけば、ものすごい勢いでガラケー、フューチャーフォンからスマートフォンへのシフトが進んでて、「わーい、スマートフォン欲しかったんだ」なんて人にはいいのかもしれませんが、そんな自分で新規端末調べてたりする訳でもなく、新しい機種にしたいときに新しいのから適当に選ぶタイプの人達が、こなれてない初期の頃の国産スマートフォンを購入して「笑顔で!ゴミを!7万で!!」ってなってたと。なんという罪深き業界。


フューチャーフォンに戻ろうにも、もうメーカーも開発の主力はスマートフォンに移行してて、残りカスみたいな端末しか残っていないという進むも戻るも地獄みたいな状況になるなんて、一体誰が予想しただろうか。


毎年1台iPhoneが増え続ける家


そんなスマートフォン地獄とは全然別の世界で、毎年iPhoneを更新してる私のお下がりに乗り換えることで、フューチャーフォンからスマートフォンへと移行することになったうちの母、私のお母さん(今週のお題)は当人比で5倍くらい携帯電話を使いこなせるようになりました。フューチャーフォン時代が3%くらいなら、iPhone 4になって15%くらいですが。


更に古いiPhone 3Gと3GSは、iPodが欲しくてたまらない(一台自分で買ったけど、私のお下がりを全て回収してる、記憶にある分でも3〜4台以上)父がiPodとして活用してます。いったい何台のiPodがあれば満足するのか?と見てて謎なんですが、なんか複数台を使いまわしてます。



仕事で中学生〜高校生くらいの学生と会話することが多いうちの母、iPhoneを持ち歩くようになって「え?なんでiPhone持ってるの??」って物凄い羨ましがられてるそうで。スマートフォンにしたいけれど、まだ買い換えられない学生は多そうですからね。それに、そのおばさん、あんまりというかほとんど使えてませんけどね。

つい最近も仕事から帰ると「朝からずっとメール書いてるんだけど送れないんだよね……」って、画面を見たらメールアドレスの@が抜けてる。つまのひとに聞いて、住所録に@付きのちゃんとしたメールアドレスを登録してもらったらしいけど、書きかけのメールのメールアドレスを入れ替えるのが分からなくて一日かかってたらしい。手順を紙に書いてその通りにしか操作できないタイプの人なので、自分で操作を考える必要があるシチュエーションに出くわすと基本的に全滅だったり。


踊りだすアイコンたちの憂鬱


「最近、何か分からないことある?」とメールを送ったついでに聞いてみると「画面の下にずらっと並んでるのを消したいけどうにゃうにゃってなって分からない」「………?」



全くの意味不明状態から、刑事ドラマの主役刑事よろしく、時に優しく時に激しく問い詰めること数分、母が質問したかったのは「iPhoneで起動中のメモリに常駐してるアプリを止めるにはどうしたらいい?何したらいいか分からないから適当に弄ったら画面中のアイコンが踊りだしてあqswでf」。後半はやはり意味不明だったがそんな所。

どうやら、学生にiPhoneを見せたときにさんざんいじられて、その時にちょっと携帯に詳しい子が起動してるアプリを止める方法をしたり顔で母に教えたらしい。それをやろうとしてハマってたという。


先生の言っていることが分かりません


起動してるアプリを止めるなんて、さまざまな種類のアプリを使いまくって、起動してるアプリがごっそりあるようなヘビーユーザーならいざ知らず、使うアプリなんて両手の数にも足りないくらいの母は覚えなくても別段困らない操作だったんだけど、一応教えてみた。



「普通に起動してホーム画面出てる状態でホームボタンをダブルクリックすると、起動してるアプリの一覧が見れます。横にフリック(はじく)するとアプリ一覧を切り替えられて、止めたいアプリのアイコンを長押しすると、アイコンが震えてアイコン左上にマイナスボタンが表示される状態に入るので、マイナスボタンを押すとそのアプリを止めることができます。止めたいアプリを全部止めて元に戻るにはホームボタン。」



「………………。」



まず、ダブルクリックは指に力が入って厳しいです。勢い余ってトリプルクリックしちゃいます。フリックして、というとたいてい物凄い勢いで画面をスリ出します。一回、一回でいいんです。そんなに擦っても何も出ません。長押しして、というとお預けを食らった犬がごとく何時までも押してます。「よし!」と言われなくても手を離していいです。って、もう擦らなくてもいいんです。それはさっき終わりました。そもそもアイコンでアプリを判別できてません、アプリは下の名前を見てるぽいです。「マイナスボタンを押して、止めたいアプリを止めて」「どれを止めたらいいのか分からないから止めるのを教えて」「どれ止めたらいいか分からない人にはたぶんこの操作をする必要アリマセン。ずっと使い続けてると重くなるから、たまに電源落として、もっかい入れなおして。」



PC使う時もそうだけど、基本操作の習得にかなり鍛錬を必要とします。主に教える側に。

「やり方説明しても言うこと聞いてない」「せっかちで操作は待ちきれずに連打してフリーズ」「検索しても探しものが見つからないってときはたいてい日本語を間違えている」

そんな母でも基本操作程度ならなんとかなっちゃう(ような気がしてるけどそうでもないかもしれない)iPhoneはやはりすごい。



母:「アプリ、何買ったらいいか分からないから教えて!」

私:「なんかiPhoneでしたいことあるの?」

母:「………(? _?)」

私:「別にiPhone使ってしたいことが無いなら無理して買う必要ありません!」



本当に母が必要だったものはiPhoneだったのかは謎ですが、画面が大きくなった(元は2.5インチ程度のフューチャーフォンだったから)のと、カメラ&写真アプリが使いやすいのが重宝してる模様。「あと、電話がかかってくるとかけてきた人の顔が画面に出てきて分かる所!」と母は申しておりますが、それフューチャーフォンにも普通にある機能。

さあ、タイヤを交換して花見に行こう

今日はひさびさに部屋のファンヒーターを付けてません。暖かくなって参りました。



そろそろね、そろそろタイヤ交換しないとね。そう、週末になると天気悪くなるのが続いててまだタイヤをスタッドレスタイヤから夏タイヤに交換してません。まあ、ここ最近は遠征ほとんどしてないので大して距離乗ってる訳じゃなく、タイヤの山が無くなる前に年数経過で寿命になりそうだから、急ぐ必要もないんですが。さすがにずっとつけっぱなしって訳には行きませんが。



そして、やっとこさ北海道にやってきた桜シーズン、今年は本当に遅かった。道南から咲きはじめた桜もどんどん広がってるようなので、今週末辺り、どこか花見に行ってこようかと。ここ数年で函館、帯広、日高辺りは行ったので、今年は久しぶりに札幌近郊を攻めてみる予定です。今週末、晴れるといいなあ。



石狩地方(札幌)の天気 - Yahoo!天気・災害

おー、天気予報見るとどうやら晴れそうですね。土曜にタイヤ交換して日曜に花見かな。



今年、行ってみようかと思ってる桜スポットは

なんか厚田漁港の朝市にも行きたいって言うから、早めに出発して朝市にも行ってこようかと。

ブロガーは反応してあげると喜びます

もっと反応しよう - ウラガミ」を読んで。

ブログ書いてて、やっぱ嬉しいのは反応があるってことですよね。



反応なんて要らない、自分は孤高に生きるんだ、ほっといてくれってんだったら、わざわざ公開しないでチラシの裏に書いてりゃいいんだし。やっぱブロガーだって人の子、反応があればブログ書くモチベーションも上がります。自分の内なる衝動からブログ書いてる人だってそう。燃料追加!みたいに。



そういや、ブログを書いててそれに反応をもらうのって、いろんなwebサービスが増えるのに伴って色んなパターンが増えました。今だと、ブログで何かを書いたことに対してもらえる反応ってこんな所でしょうか?

  • 読まれてPVが、カウンタの数字が増える。
  • facebookでいいね!してもらう。
  • twitterでお気に入りに登録される。
  • はてなスターつけてもらう。
  • はてなブックマークでブックマークしてもらう。
  • ニュースサイトで記事を紹介される。
  • コメント欄にコメントもらう(除くスパム)
  • RSSリーダーなどに登録してもらう。
  • 他のブログに参照してもらう。

下にいくほど嬉しい度合いは高め。



自分が気に入った記事書いてるブログがあったら、単に読むだけじゃなくて何か反応してあげるとそのブログが続くモチベーションとなっていきます。自分でブログ書いてる人は、他のブログに書かれてることを元ネタにして何かを語るとか。キャッチボールみたいに記事で反応しあって何かの話題を語るのも楽しいものです。



逆にその話題ウンザリだよ!ってのには触れないのが一番。毎度毎度炎上してるのを揶揄するコメントしながら、毎回きっちり反応してる人って、本当はその話題好きなんだろうな………と生暖かく見てます。

社畜チャーリーがノマドった先に見たもう一つの世界

増田(はてな匿名ダイアリー)で「社畜」と「意識高い系」の話題が盛り上がってた。



なんか適当に文章拾って並べてたら映画の予告編みたいになった。

主人公チャーリイは、他人を疑うことを知らない、お人好しの社畜だった。
ある日彼は、「海外ニート」「ちきりん」「脱社畜ブログ」「dankogai」「pha」などをネットで知り、意識が高くなってしまい、会社を飛び出してしまう。

http://anond.hatelabo.jp/20130512160633

早く書き上げることイケダの如く
静かに断ること勝間の如し
米英の侵略を煽ること伊賀の如く
働かないことphaの如し

ノマド信玄

『自分で考えて自分で決めて生きよう! そんじゃーね!』
「わぁ……心が暖まる……!」

ノマド少女

社畜として生きるのはおかしい!自由に生きろ!!』
「わぁ……心が暖まる……! MacBookAirも連続稼働で暖まってきた……」

ノマド少女

しかし、ノマドになった先で彼を待っていたのは、無職に対する周囲の冷たい視線だけだった。
そんなある日、彼に異変が起こる。

http://anond.hatelabo.jp/20130512160633

なんだよ。どういうことだよ。
ニートノマドはストレスフリーじゃないのかよ。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

嫌な仕事をしながらハゲるのなんかまっぴらだ。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

備蓄のスタートラインは、「自分は何が必要なのか」を理解することだ。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

イオンの初売りに行ったら、既に無印の福袋はなくなっていた。ガッデム。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

折角のフレンチだったのに、興ざめだ。かなりがっかりした。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

、、、正直な所、かなりマズイ。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

涙が止まらない。どこで間違えたんだろう。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

自分の頭で、よく考えてみよう。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

難しい話はなしにして、馬鹿になって盛り上げるべきだったかな。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

ブログのPVも順調に伸びているし、最近は狙って炎上させるのも成功率が上がってきた。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

今日はついにMacBook Proを買った!やっぱりMacは質感が良い。

- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..


………なんかストーリーが分からなくなってきた。



原作をしっかり読んで復習しないとね!(違)


アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

断る力 (文春新書)

断る力 (文春新書)

年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書)

年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書)

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法


参照記事:
http://anond.hatelabo.jp/20130512160633
ノマド少女
ノマド信玄

一番長いのはコレ。
- ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。 でも..

ネットで広がった世界と認識させられる現実の呪縛と

ネットの普及によって変わったことと言えば、何かを情報発信することが簡単になったおかげで、かつては見えなかった様々な情報が可視化されるようになり、ネットが無かった頃と比べると格段に多くの情報を知ることができるようになったこと。


世の中の様子やあり方をさまざまな視点から語る人も増え、情報を得るという観点から言えば何処にいてもどういう立場でも、たいして変わらず多くの情報を得られるようになったが、人として現実の世界で生きている以上、何処に居てどういう立場で暮らしてるかによって、得られるモノが大きく違ってくることも知ってしまった。


手に入らないことを知る悲しみ


よりフラットな状態を提供してくれるネットでの情報共有で、世の中に提供される新しいモノのことはいち早く知ることはできるようになったが、できるのは知ることまで。


新しいガジェットはそれが発売される国じゃないと手に入らない。新しいテレビ番組を余さず遅れずに見られるのは都会だけだ。初回限定盤のCDを買ったら中に入っていたこの紙はなんだ、都会に住んでいる一部の人たちだけが応募する意味を持つイベントの申込み券はゴミ箱に捨てればいいのかオークションにでも出せばいいのか。


ネットを乗り越えて向こう側には飛べない


ネットを利用することで、場所や立場を超えてコミュニケーションを取ることが可能になり、それによって身近な人々とより密に繋がることができるようになり、ネットが無かった頃なら知り合うことも無かったような多くの人々と触れ合ったり、現実の交友関係を生み出せることを知った。



ネットでの出会いから現実の交友関係を広げることは充分に可能なことは、かつて幾度と無く参加したオフラインミーティング、いわゆるオフ会から知っているが、現実で人と会うためには当たり前だが同じ場所に同じ時間に存在しなければならない。今だって車を一時間半飛ばし、120km離れた札幌までオフ会のような集まりに行くことも年に数回程度あるが、なぜ札幌まで出かけるかと言えば、ある程度人が集まる、集められる場所ってのは人が多い所だから。


ネットが見せてくれるフラットな世界への希望と現実世界とのギャップ


ネットが変えてくれたのは、情報に関しては何処にいてもフラットに手に入るという環境。情報=データという形式に置き換えても成立する商品やコンテンツは、ネット配信によって、それが何かの媒体を介してしか手に入れられず場所や流通、社会のしくみで入手に制約を化されていた状態から脱することができるようになった。いや、正確にはなりつつある。まだ道半ば。ネットによって、自らの居場所による制約をより意識させられたが故に、ネットに理想の環境を求めてしまいがち。



でも、自分には理想な環境がネット配信にあったとしても、全ての人にそれが理想な訳ではない。現実の世界で形あるモノを提供することに関する仕事をしている人にとってはネット配信なんて黒船以外の何物でもないだろう。


ネットから見える外の世界と自分が今生きているこの場所


いつでも何処にいてもネット越しに世界と繋がれると認識した時から、世界中の何処にいても変わらずに世界と繋がっている感じがしてた。札幌に住んでた時も、東京に住んでた時も、今ここで道南に住んでる時も、旅行や仕事で国内や海外に出かけていた時も。どこに居たってネットを開けば変わらない世界がそこにはあったから。



そういう意味では世界中どこに居ても変わらない感覚がある反面、現実の場所に縛られて仕事をしている身としてはそう簡単に居場所を変えることはできない。もちろん、ここではない場所で仕事を見つけたり、場所に縛られない仕事を得たりすれば別だろうが、いろんな重力が働いてて簡単にここから飛び出すことは出来なさそうだ。



何処に居たってネットを通じて世界と繋がれる感覚があるから、別にここにずっと居たってかまわないけれど、なまじ別の場所で暮らすということも知ってしまったがために、そこで得られていた別の現実が自分を引っ張る。自分が住んだことのあるいくつかの現実の場所の、何処からネットを見ても同じような世界がソコには広がっていたが、現実の場所は全て違う環境だった。ネットを通じて繋がれないもの、手に入らないものは、現実側から繋がりに、手に入れに行かなくてはならない。



ネットがあることで、現実の世界に囚われる息苦しさを軽減できていると同時に、ネットでは飛び越えられない現実の制約もまた感じている。