ネットと言う言葉が持つさまざまな意味。


ネットと言う言葉をごく当たり前に毎日の日常の中で目に、耳にするようになった昨今。

ネットと言えば、それ即ちインターネットのことを指しているのでしょうが、簡単にネットと言ってもそこに含まれている意味はさまざまなものが含まれています。


現実世界での距離を縮めてコミュニケーションするという手段を提供してくれる手段(道具)としての側面。現実との関係を感じずに新しい交流関係を気づくことの出来るコミュニケーションの場としての側面。

後者だけを見ると、現実世界とは全く別に存在してる新しいネット世界というものが突如出現したかのように思われるかもしれませんが、両方の世界の登場人物は実は重なっており、両方は非常に多くの重なる部分を持っています。

ネットという手段(道具)がより普通に誰にでも意識されずに使われるようになる頃には、ネット世界というものも現実世界の中に取り込まれていくのではないでしょうか。

古くからネット世界に触れ、またその世界での体験を現実世界のモノと同様に考えられると感じている人々は、現実世界もネット世界もお互いが出会うきっかけなり手段なりが違うだけで、実はどちらも同じく他人を相手にコミュニケーションと取る世界なのだという実感が強いんだと思います。

ネット上であっても何らかの自分を表す名前を持ち、その名前で発言する事により、自分のネット上の存在を示さなくてはならないのだと思う。ちょっと大げさに書いているが、ようは、無責任な匿名ではなく、ネット上での自分自身の名前を持つ事で、その名前でもって発言する内容は、その名前に対してかかってくるのだという意識を持つ事が、ネットで「生活する」という事にかかってくるのだと思う。ネットという「ツールを使う」事と、「ネットで生活する」は全く別物だという認識は必要じゃないだろうか。


ネットの持つ「ツール」という側面と、「ネット世界で生活する」という意味の違いの認識ですね。こういう認識というのは言い換えてみれば前者は「会話、電話、手紙などのコミュニケーション手段に新たにネットというものが加わった」ということで、後者は「ネット世界で生活する=ネットを媒介とした他人とのコミュニケーション≒現実を媒介とした他人とのコミュニケーション」ということなんだと思います。


こうした二つの側面の違いを認識できるかどうかというのは、ネットにどれだけ触れているかというのが大きくて、あまりネットに触れる機会の無い年配な人ほど違いが分からず、逆に当たり前のようにネットが存在する中で育った若い人達は、こんな風に意味付けて考えなくても自然とネットというものの存在を感じ、当たり前のように使っていくのでしょう。


ちょっと話は飛びますが、若い人がネット上で協調性のない、自己中心的な行動をとりがちなのは、ネットうんぬんじゃなくて、単に人生経験が少ないことからくる社会性の欠如からなる行動だよなぁ、と思うことが多いです。

そこに必要なルールなりモラルなりというのは、別にネットだけの話じゃなくて現実世界でも当たり前に必要なことが多いですよね。単にネットというツールによってそれが見えやすくなっただけだと。


ネットという新しい手段を手にして、どうしたらそれを有効活用してもっと大きな可能性を引き出せるか、ネットは所詮コミュニケーション手段のひとつ、使い手によって良くも悪くも使えるんだってのを常に心の片隅に忍ばせておきたいですね。