『ウェブ進化論』を読んで受け取ったものの違い
愛と苦悩の日記 » Archivio » 梅田望夫著『ウェブ進化論』の偏ったグーグル擁護論
を読んで。
この部分で梅田氏は、ITが主人、人間が奴隷になるべきだと恥ずかしげもなく明言しており、梅田氏の主張はヘーゲルの弁証法以前の水準にとどまっており、あまりに素朴すぎて痛々しいほどだ。
ウェブ進化論のp.54-55を読んでの上述の感想なのですが、私には梅田さんが「ITが主人、人間が奴隷になるべき」と明言しているというのがさっぱり分かりません。
梅田さんは
「世界中に散在し日に日に増殖する無数のウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたった一つの基準で、グーグルはすべての知を再編成しようとする。
(ウェブ進化論 p.54より)
というページランクの概念のことを「ITの進歩」とし、人がそれを受け入れるべきだ、と言いたいのではないですか?
無数のウェブサイトを作り出しているのは我々人であり、そのウェブサイト上の知の評価もまた「インターネットの意志」たるリンクからなる民意にまかせるべきでは、という主張であって、主役はやはり人で、それをサポートするためのITなのだと思います。
Aさんがブログで『ウェブ進化論』は良いと書く。Bさんもたまたま同書を読んでいて、グーグルでAさんのブログを見つけると、「同じ意見の人がいた」と、喜んでトラックバックでAさんのブログから自分のブログへリンクを張る。
ブログ作成者どうしでは、トラックバックされたらお返しするのが、ネット世界ではすでに慣習になっているので、Aさんもトラックバックして、Bさんのブログから自分のブログへリンクを張る。
ここにCさんという人がいて、『ウェブ進化論』など根拠薄弱で読むに値しない本だという書評をブログに書く。Cさんの書評はAさんやBさんのような人からは無視され、リンクが張られることはない。
トラックバックは同じ意見の人に賛同するためだけのシステムではなく、あなたの書いた記事をきっかけに私はこういう記事を書きましたよ、という連絡システムなんだと私は思います。
中断の「トラックバックされたらお返しするのが、ネット世界ではすでに慣習になっている」というのは、一部そういう文化圏を持つ人々がいるというだけで、そうではない人々も多くいます。
最後の段は、私のこのエントリでトラックバックを送っていることがその反証になります。トラックバックは決して単なる賛同システムではありません。
仮に『ウェブ進化論』の場合のように、著者自身のブログのページランキングが始めから高い場合、『ウェブ進化論』擁護派のブログが驚くべき速度で増え、逆にこの「愛と苦悩の日記」のような『ウェブ進化論』批判派のブログがますます無視されるのは、当然といえば当然の帰結なのである。
その梅田さん自身のブログはなぜページランクが高くなったのか、ということを考えてみてください。そこに至るまでの過去の多くの記事がそのページランクを保障しているんじゃないでしょうか?
どんなページでも最初は低いページランクからスタートし、多くのリンクの関係を持つことによってページランクは上がっていくのです。そこに働いている原理は、ネット上の民意たるリンクの数であり、もし、批判派の方の主張が多くの民意を得て多くのリンクが構築されるようになれば、その立場は逆転することになるでしょう。
私が「ウェブ進化論」を読んで感じ取ったものと、あまりに違う意見だったので私なりの考えを書いてみました。
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