信じた行動が実感に繋がったとき


CONCORDE: 「それが大事」と人は言う。」を読んで。


私がWebに関しての文章を書くときは、「希望」的な方向で考えることが多いです。それはWebに関していろんな「希望」を抱いているからなのだけど、そういう考えを誰かに見て欲しいってのがあります。


逆に、「絶望」を抱いている事柄なんかもあったりしますが、そういう面は人に見て欲しくないのでそれについてブログなどで語ることはほとんどありません。

コツコツ書いていればアクセスはついてくる?
うん、私には当てはまらないよ。

トラックバックでつながりを増やしてみれば?
うん、やってるよ、
言及を断られる──(届いたことを現認した)言及TBを消された、の意──ことが立て続けに起こっても、
懲りずにね。

……「信じぬくこと」のなんと難しいことよ!

「コツコツと書いていればアクセスはついてくる」「トラックバックでつながりを増やしてみれば」は自分と共感してくれる存在があって始めてなしえることなので、上述の行動が必ずしも自分が期待したどおりのアクセス数増加に結びつくか?と言われたら、そうならない場合も多々ある、という答えになります。

その誰かさんと同じように「希望」を語ると、これが結構ウケてる(反応を得てる)んですよね。
私みたいに「絶望」を語ったって、まずウケない(苦笑)。
ネットに、少なくとも「ブログすること」に対しては、これはものすごくはっきりしていますよね。

「希望」、「絶望」という分け方でもそうですが、ウケるウケないは、自分の書いた記事に対する自己評価とはなんの関係もないんですよね。あくまでも大勢の人にとってウケやすい記事、ウケにくい記事があるってだけで。


単に多くのアクセスを得たいだけなら、ウケやすい記事を書けばいいのだけど、自分が何か発したいことがあって書いているのなら、たんたんと自分が発したいことを書き続けるしかありません。

信心を綴るみなさんへ、
実感を持てているみなさんへ質問。
「信じ続けたから実感を持てるようになった」のですか、
「実感を持てたから信じるようになった」のですか。


ブログに関して、「コツコツと書いていればアクセスはついてくる」「トラックバックでつながりを増やしてみれば輪が広がる」を信じているってのは、「信じ続けて行動を続けていたら実感を持てるようになった」からです。


はてなダイアリーに引っ越してきて、ブログを書き続けること2年半ほど。2年半前には誰にも存在を知られていなかったブログですが、今年に入ってtwitterustreamなどで多くの人と新たにコミュニケーションする機会が得られたときに、「北の大地から送る物欲日記のhejihoguさんですね?」って言われたことが何度もあって、自分が想像していた以上に多くの人に見て、認識してもらえていたんだな、って実感が得られました。

アクセス数、アクセスログでは気づかなかった、「読んでもらえていた」という実感。そうやって「実感」が得られれば、ますます信じることができます。



私の場合は、いいタイミングで「信じ続けたから実感を持てるようになった」「実感を持てたから信じるようになった」がループする状態に入れたんだと思います。