自然な形でブログを書き続けること


Re:ネット視聴率の低下:DESIGN IT! w/LOVE
間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか?:DESIGN IT! w/LOVE」を読んで。

僕は、完璧さを求めるあまり間違いを過剰に恐れ、アウトプットが遅れてしまうくらいなら、多少、間違いがあるかもと思いつつもとにかくアウトプットを出し、その上で相手の反応を見ることのほうがよっぽど重要ではないかと思います。

これには非常に同感。


ウェブを見ることで飛躍的に増える情報のインプットに対して、素早くアウトプットするというのはいろんな抵抗が待ち受けています。

完璧さを求めるゆえにいつまで経ってもアウトプットできないのもそうだし、もうちょっと後でと思ってるうちに機会を逃したり、いつまでの考えが頭の中を巡ってエントリという形にまとめきれなかったり。


アウトプットという形でとにかくある情報としてネットに放流するというのは非常に大事です。ブログエントリという形でネット上に放流してしまえば、それは自分を含む大勢の人にとっての新しい情報となり、自分がアウトプットした見返りとして、いろんな反応を得ることができます。



間違った情報を出してしまったのなら、それを訂正すればいいのだし、アウトプットして帰ってきた反応を見て考えが変わったのなら、そう書けばいい。誠実に対応することさえ忘れなければ、どんどんブログなどでアウトプットした方がいろいろと面白くなります。


にもかかわらず、過剰に他人の批判を恐れて発言しない人がいるのはどうかと思う場面があります。

他人の批判に耐えられずにブログを閉じてしまう人を最近よく見かけます。たまたま情報収集範囲が広がったからなのか、それともそういう人が増えてきてるのかは分かりませんが。


他人の反応はもちろんありがたいのですが、あまり真に受けすぎると簡単に耐えられなくなっちゃうのでしょう。自分が何かを1批判したら、大勢の人からの批判が帰ってくるのなんて、個人個人が同じ1の批判だとしても10人集まったら10、30人集まったら30の批判になっちゃうように、ネットを通しての反応は良くも悪くも増幅がかかるものだからです。


同意も批判も、適度に受け止め、適度に流すくらいがいいんじゃないかと。


アウトプットとインプットの「半年」の時間のズレ
ブログをひたすら書き続けている人のなかには、こうした変化を身体感覚的に自分のものにしている人もいます。

「半年」の時間のズレはあまり実感できていないですが、ブログや他のWebサービスで発言することで情報発信したことが、その反応、そしてまた反応と次第に広まっていく感覚というのは、実際にこういうモノを使っている人しか実感できないんだろうなぁ、と感じます。


ブログエントリを書くと、ソーシャルブックマークRSSリーダーを通じて読まれる数時間から半日くらいの山、そして見た人の反応が返ってきて、コメントやトラックバック、ニュースサイトの紹介がくる半日〜1週間くらいの次の山。

この二つが非常に分かりやすい二つの山で、それ以外に多くのエントリを書き溜めていると、どこかで昔書いた話題が盛り上がって、瞬間的に過去記事が再沸騰する状態や、多くの人に広まった結果、検索エンジンの検索結果上位に入って、ずっとじわじわと読まれるようになる記事などという形もあります。


自然な形でブログを書き続けること


毎日、3度の食事を取るように自然な形でブログを書き続けることができたらいいな、と思います。


自分の書いたエントリが読まれて反応が返ってくるのは、1日周期くらいがちょうどよく、うまく時間帯がずれた人となら1日一回ペースでやりとりを続けられたりします。今までもそうやって何人かの方々とブログを通じて対話させてもらったことがありました。



毎日続けることで気がつける感覚というのもあります。こればっかりは知識と違って、自分の経験としてじゃないと残らない。だから、少しくらい大変だったとしても、毎日書き続けるということには意味がある。