このままネットによってオープンな社会になるんだろうか?


あんたジャージでどこ行くの: 現状のネットユーザはwebの進化を歓迎しないのではないかという妄想」を読んで。

webが進化する、あるいはインターフェイスが進化するというのはどういうものなのか、具体的には創造しにくい。
10年後、自分がどういう風にwebと接しているのか、ということを考えると、よく分からない。

少し先のことなら想像はできても、さすがに10年後のことになると想像できない。

それは、まだWebに触れ始めて1〜2年だった10年前に、今現在のこの状況は全然予想できてなかったことからも分かる。

しかし、なんとなく、漠然と思うのは、webが一般社会にもっと浸透し、それこそブラウザなんて要らないくらいに生活にとけ込んできた時、「リアルでは大して人気もないのに、web上では名前が売れているような人」なんていうのは居なくなるのではないか。
リアルで人気のある人がwebでも人気者になる、というのが、究極のweb社会なんじゃないかという。逆もあろうとは思う。webで得た人気が実社会に及ぶ。それもあるだろうけど、多分、そっちのケースは稀だろう。

Webとリアルが完全に融合した社会では、リアルとWebの区別は付かないだろうから、「リアルで人気のある人がWebでも人気者になる」とか「Webで得た人気が実社会にも及ぶ」なんてことは無くなっちゃうんだろう。そこにあるのは、Webを包含したリアルで人気者になっていく人がいる、ってだけの話。

もちろんWebの利点であるローコストで多くの人に何かを伝えることができるってのは有効だろうから、昔に比べるとチャンスという意味では恵まれている社会になってるだろう。

webやらネットワークが究極まで進化すれば、リアルとバーチャルの敷居が無くなる、というのは当たり前のようだけれど、しかしなんとなく思ったのは、現状のネットユーザの多くは、それを望んではいないのではないのかということであって、こういう話は漠然としすぎているし妄想のようだけれど、なんとなくそんなことを思ったのです。

そもそも、Webやネットワークがバーチャルで、現実がリアル、その間に敷居があるって考え方をしたことが無かったかも。Webやネットワークはあくまで手段、ツールであって、リアルなしにはありえない。あくまでリアル同士を繋げる役割なだけ。



Webやネットワークという手段によって、いままで隠されていた事実がどんどんと明るみに出てくる風潮があって(さまざまな不正が明るみに出たりとかね)、これがどんどん進んでいくのが倫理上は正しいことなのだとは思うのだけども、果たしてこの状態がいつまでもそのまま続くだろうか?というのは感じます。

世の中がどんどん清く正しくなっていくってことの中には、当たり前だけど自分も含まれてるんだってこと。世の中みんなが聖人君子のような社会なんてありえるんだろうか? オープンになるってことは、自分が監視されることをも意味します。それに多くの人が気づいたら、どっかで揺り戻しが繰るんじゃないだろうか?という想像をたまにしたりします。


そうなった場合、どういう形で揺り戻しがくるんだろう?