興味がない趣味なんてないよね


多趣味の人」を読んで。

趣味自体に興味があるわけじゃなくて「色んな趣味持ってて知識あってなんかかっけー人間」になりたいからやるってのは動機としては滅茶苦茶不健全だよなー そんな動機で続くのかって感じだし

何かを趣味にするための動機なんてなんでもいいんだけど、「趣味自体に興味があるわけじゃなくて」ってとこが引っかかった。興味ないことって趣味って言えるんだろうか?と。

「色んな趣味持ってて知識あってなんかかっけー人間」になりたい(=と思われたい)ってのがやりたいことなら、人から褒められたり認められたりするのが趣味です!って感じがする。「人から褒められる・認められることをやる」のが趣味。



趣味は辞書で意味を引くと「利益などを考えずに好きでしている物事」って出てくるように、別にそれをやってるからって何の見返りもないけど、好きだから辞められないって物事を指すんじゃないの?



たぶん、私は他人からすると多趣味と言われる部類の人間で、事実いろんなことにハマってて趣味と言える対象がいくつもある。



美味しい物を食べるのが好きだから、食べ歩きが趣味。

外で食べ歩くだけじゃ飽き足らず、それを自分でも作ってみたくなるから料理も趣味。あちこち旅行をするのが趣味。

旅先で見かけた風景や仲間と過ごすひとときを心に残しておくだけでは飽き足らず、それを切り取って残したいって感じるから写真を取るのが趣味。

フィルムや現像の制限なく大量に写真や動画を写せたるデジカメを買ったり調べたりするのも趣味。

子供の頃に漫画を読み始めてから30年以上、数千作品以上読んでも、まだなお面白いと思える作品に巡り会い続けられる漫画も趣味。

これまた30年近く、軽く1000本以上のタイトルをプレイしつつ、まだ新しい作品も楽しんでるゲームも趣味。

子供の頃はテレビでたまに見るくらいだったけど、大人になってからレンタルで借りまくって色んな作品にはまったアニメも趣味。

好きな番組、映画、アニメ、ゲームなんかで使われてる音楽から入るってミーハーな入り方だけど、音楽も趣味。

同じ趣味を持つ人々と巡り会える場所を与えてくれるネットも趣味。

コンピューターに魔法の言葉を吹き込むことで、自分のやりたいことを実現できるプログラミングも趣味。

ネットやプログラミングを行うのに必要不可欠なコンピューターをいじるのも趣味。

自分一人では体験・考察・想像できないような世界を味あわせてくれる本を読むことも趣味。

自分の考えていることや体験したこと、知識などを文章として書いて情報発信することで、承認が得られたり人に何かをあげられたり対話することができたりするブログを書くのも趣味。



いろんな趣味を持ってるけど、どれも自分が好きでやらずにはいられないからやるもの。人から認められるためにやってるものってひとつもない。(結果そうなってるものはあるけれど)

それぞれひとつひとつを取ってみても、それだけずっとやり続けたいものばかりだけど、体はひとつしかないし、時間は誰にとっても一日24時間しかない。お金がかかる趣味も多い。だから、そのときできる趣味を少しずつ回しながら楽しむ。趣味が少なかったら、もっとひとつひとつにどっぷりハマれたんだろうか?と思うこともある。



「色んな趣味持ってて知識あってなんかかっけー人間」というように、人からよく見られたいってのは、ものすごい人から見られることを意識してるよね? 人から見られるってことを考えず、自分が心の内からやりたいことってない? 本当にない?

日々の生活の中で、楽しいと思ったことやハマったものが全くないってのもあまり想像できない。

何かを楽しいと思ったり、ハマったりしたときに、それを楽しんだりハマったりすることが人からどう見られるだろう?って意識が働いて、楽しい・ハマるって思ったことに知らずのうちにブレーキをかけてたりしない?


俺って褒めてもらうために生きてるのかな?そんな感じがしてきた おかしいなー両親から普通に愛されて育ったはずだが…なんでだ?

「愛され足りなくて、褒められることを求めてる」ってのだけじゃなくて、「愛されて褒められることが当たり前すぎて、常にそれを求めるようになってしまった」ってのもあると思うけど。

人から認められるってのは、本当に蜜の味で、そこにハマりだすとキリがない。思う存分自分を見せて、それで帰ってくる承認くらいでいいんじゃないかって思ってる。



私が「なんかかっけー!」と思うのは、「かっけー人間」と見られるために好きでもないことをたくさんやってる多趣味な人よりも、自分が好きなことを貫き通してる多趣味な人。好きなものが見つかるまでいろいろやってみる、でいいと思う。やってるうちに好きになって行くこともたくさんあるしね。