本を読むということ


本を読まない人間」を読んで。


私はたぶん本を読む側の人間だろう。



それほど難しい本を読んだりする訳ではないが、本を買うのは好きだ。なにげなくふらっと本屋によって、目的も無く面白そうな本を探すのが好きだ。

子供の頃、そう、小学生の頃は狂った様に本を読んでいた記憶がある。家にある本という本を片っ端から読み尽くし、学校の図書館の本も棚を左から右へみたいな勢いで、借りまくって読んでいた。中学に入り、部活を始めてからは本を読むことはほとんどなくなったが。



本をなんのために読むのか?と言われたら、「読みたいから読む」、これしかない。読んでないと、勉強してないと不安で本を読むなんてことは一切ない。

だから、本を読む時期は一日数冊ペースで読んだりするけれど、読まない時期はぴたっと数ヶ月本を読まなかったりもする。



本を読むってことは、自分が持っていない知識を披露してくれる人の知識に触れたり、さまざまな人の体験を感じたり、考え方、方法論の引き出しを追加したり、作家の作り出す世界に入り込んだり、歴史、学問、情報を学んだり。自分だけでは、体験できないこと、知り得なかったことを、本に書かれた文章を通じて知るってこと。



勉強ってのは、何も本からだけではなく、いろいろな方法でできる。誰かに教えてもらうこともできるし、自分でいろいろ経験を積みながら考えるってのもある。いまでは、ネットを利用してWebから情報を得たり、自分で勉強してる情報を発信したりしながら、同じ目標を持つ人同士で情報共有しながら勉強するなんてこともできるようになった。

ただ、そんなネットが出てきた今でも本というものはそう簡単に無くなりそうはない。新しく作られる本が無くならない以上、誰かが本という媒体上で情報を発信している。



「実体験から積み上げたものじゃないと信用できないよ」とは言っても、人が外から情報を得ずに体験だけで得られるものはあまりに少ない。人づてでも、本でも、ネットでも、外から得た情報を元に、それを自分でも試してみて自分の物としたり、そこに何かを加えて自分の新しい方向を見つけたりする。本は、そんな外から情報を得る手段のひとつ。



でも、本を読むということは、何も知識を得るためだけのものではない。娯楽として、読み物として本を読む人も多いだろう。

そうやって、楽しんで読んでいる本からも、人はいろんなことを学んでる。学習してるって意識がなくても、本の物語や世界は読んだ人の頭の中に残り、それがその人の頭の中の世界を彩る糧となる。



物を食べるという行為は、何も栄養を摂取するためだけの行為じゃなくて、食べるということ自体を楽しむためでもある、というのが似てるだろうか?



私は何かの知識を得ようとして本を読むときは、常に自分の頭の中でいろいろと考え事をしつつ(もちろん、読んでいる本の内容について)読み進めて行く。対談集なんて、書かれている二人の対談に混じって、三人目の参加者になったつもりで読んでいたり。

物語を読む時は、その物語の世界に入り込むことに夢中になる、というか、気づいたら浸っている。



私にとっては、本を読むのも、ネットを見るのも、誰かと話をするのも、どれも大差ない。どこから情報をもらってるかって対象が違ってたり、文章なのか、視覚情報なのか、映像なのか、音声なのかという情報伝達手段が違ったりするだけ。