ネット上は二極化しがちだけど、あなたはどちらに向かいたい?


素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考」を読んで。

俺は、インターネットっていうのは、素直なバカが一番得をする場所なんだと思う。素直なバカは、自分の間違いや自分の弱い部分を素直に認めることが出来るから、よりよい内容に触れれば、それに素直に染まることもできる。でもやっぱりバカだから色々失敗したりもするんだけど、賢い人たちのアドバイスを受けることで、その失敗も糧にできる。色んな人たち色んなフィードバックを受けることでどんどん人間的に成長できる。

素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考

この考え方はとても性善説な感じでよいのだけれども、実際のインターネットはどうか。主観的な意見のオンパレードであります。そして、そのこと自体は別に悪いことではありませんが、それって受け取る側にリテラシーが必要になるわけね。だから、単に素直なバカではいけない。

自由なインターネットが必要なのは一握り、あるいは素直なバカは得をしないよという話 - novtan別館

ネットってのは、自分の間違いや弱い部分に対するツッコミを認めて、それを自分に取り込むことができれば自分が成長することができる。賢い人達のアドバイスを受けることで、色んなフィードバックを受けどんどん成長できる。



でも、それはid:NOV1975さんも指摘している様に性善説な考え方で、周り(所属しているコミュニティ)に賢くて適切なアドバイスを与えてくれる人がいたり、有益な正しい知識の蓄積が存在していてそれに正しくたどり着けたりしたら、という前提があってのこと。主観的な意見が溢れる「現実のネット」上においては、受け取る側が何が取り入れたら良くて、何は捨てるべき情報なのかってことを見分けるリテラシーを持っていなければ成長することはできない。

つまり、知識や経験的にはバカでもいいけれど、情報の取捨選択的には高いリテラシーを持っていないと成長できないという。



正しい情報、必要な知識を見分けられず、間違った情報、いらない知識を取り込み続ければ、成長するどころの話ではなく、ダークサイドまっしぐらとなってしまう。


二極化の加速


バカって言い方はあれだけど、知識や経験を持たない状態(子供や、大人における専門外の分野)からネットという場を使って成長しようと思うと、必要なのは正しい情報を取捨選択できるリテラシーと、正しい情報を与えてくれる人の存在、正しい情報の蓄積がある場の三つとなる。自分の内的要因が一つに、外的要因が二つ。


正しい情報の蓄積ってのは、言い換えれば、過去の人達のやりとりから培われ作り上げられた、見つけられた知識が集められているということ。正しい情報を与えてくれる人ってのは、そういう知識やそこへの道しるべを教えてくれる。でも、最終的にどれが正しいかを判断して取捨選択するのは自分。(リテラシーが高い人を盲目的に信じるってのも無くはないけど、その人が本当に信じるに足りる人なのかはやはり自分が判断しなくてはならない)



果たして現在のネット上に、正しい情報を与えてくれる人が存在していて、正しい情報の蓄積がある場というのはどれくらい存在しているだろう?


インターネットっていうのは、素直なバカと、性質の悪い馬鹿の人間的能力の二極化を極限まで進めてしまうメディアなんじゃないだろうか。素直に、有益なフィードバックを得続け、磨かれ続ける人間と、他人から何らかのフィードバックを得ることを一切拒絶した人間との深い溝が、今後、深刻な社会問題化するんじゃないだろうか(もうなってるか?)

素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考

ネットというのは、とにかくいろんなものを加速する場であり、ここで言われている様な二極化へ向かう可能性は高い。


そもそもネットから有益なフィードバックを得続け、磨かれるというのは上記で説明した様にさまざまな条件が必要となる。上でも挙げた三つの要因以外にも、そもそも本人が成長したがってるかどうか?という根本的なところもあり、ネットをストレス発散の憂さ晴らしの場として捉えている人はそもそも成長は望むべくも無い。

間違った情報を信じ、自らの欲求を満たすべく加速していく人達はダークサイド側へと向かい、そして害となる情報をネット上にまき散らすことでその勢力はどんどん増していく。



正しい情報の蓄積や、正しい情報へと導いてくれる人の存在がある程度以上あれば、そこでは素直なバカであれば成長することができる。でも、急激な人の増加によって、正しい情報の蓄積や正しいアドバイスをくれる人の存在が相対的に少なくなってしまうと、たとえ素直なバカであったとしても、成長に必要な情報が得られる可能性は低くなってしまう。

そして、間違った情報やおかしなルールが蔓延する場となってしまう。



成長とはちょっと関係のない話になってしまうが、ネットの活動において、なんにおいても真っ先に飛びつく熱狂的な人達が群がっている間は盛り上がるのに、その後で噂を聞き付けてやってきた人が多くなって行くに従って熱量は下がり、意識が低下していくのも、ネットにおける二極化現象を表しているのではないだろうか。

自ら盛り上がろうとする方向と、他人に盛り上げてもらおう(でも盛り上がらない)という方向の二極化。


リテラシーはどうやって身につけるのか


リテラシーなんてものは、誰でも最初は0からスタートしていろんなものを見聞き経験し、それが正しかったかどうかを自分の肌で感じることで身につけて行く能力で、とにかく経験を積むこと無しには身に付かない。トライ&エラーに勝る学習法はない。

この場合、とにかくどこに正解が存在しているか分からないのだから、より多くのものを見聞き経験するのがいい。これはリテラシーを身につけるときだけではなく、正しいものを追い求める上において基本的なスタンスである。闇雲に視野を狭め、自分の信じたいものだけを信じるような方法では、正解を見失い勝ちになってしまう。



子供のようにリテラシーが確実に低いであろう状態で、ネットのようなあらゆる情報が満ちあふれている場所に出てしまうと、正しい情報を見分けるリテラシー能力を持ち合わせないが故に、高い確率でダークサイドへと落ちて行ってしまう。あらゆる情報の中には、一見正しそうに見えたり、自分の欲求を満たすけれど、実は正しくない情報なんてのがごまんと存在しているのだから。

だから、学校や家庭、日常生活などである程度のリテラシーが育つ年代になるまでは、ネットへと出て行くことは十分に気をつけなくてはならない。



そういう意味では、まだリテラシーが身に付いていない低年齢層において、ある程度の規制は必要なのかもしれないと考えさせられる。でも、そもそもリテラシーがどの程度身に付いたかなんてのは個人差が大きいものだし、そもそも大人にだってリテラシーが低い人達はたくさん存在している。単純に年齢で区切れるものじゃない。


また、規制をかけるといっても、どれを見てよくて、どこは見てはイケナイというのは誰が判断するのだろう? それを何かのツールで自動的に判別できるのなら、そもそもリテラシーを各自が身につける様な苦労をしなくても済んでしまう。

ブラックリスト方式で悪い物を排除するには、ネットという場は広すぎるし、ホワイトリスト方式で正しい情報、知識を掲載している場を登録していったとしても、将来においてその場がそうであり続けられる保証はどこにもない。



その辺が低年齢におけるネット規制という問題の難しさを表している。


素直なバカから何に向かうべきか

インターネットとはそういう悲観的に将来を見ておくことや、自分自身を疑う姿勢の大切さもただちに教えてくれる賢い人たちが多数いるメディアなのだ。やっぱり素晴らしい場所だと俺は思うよ。

素直なバカが無限に得をするのがインターネットの特徴 - 枯れた知識の水平思考

この一節にはとても共感した。だからこそ、「素直なバカ」を肯定的に捉えるのではなく、自覚できたらできるだけ早く脱却することをお奨めしたい。

自由なインターネットが必要なのは一握り、あるいは素直なバカは得をしないよという話 - novtan別館

自分の間違いや劣った部分を認めて受け入れられる「素直なバカ」ってのは、自分の得意分野、専門分野でない部分において、ネットを利用して成長しようとするときに必要な資質みたいなものだけど、いつまでもネットから受け取るばかりな「素直なバカ」で居てはいけない。

自分がただしく成長できたら、次はあなたが正しい情報をネットに蓄積し、これから来る人をその正しい情報へと導く人にならないとこのネットで成長できる場は持続しつづけられない。id:NOV1975さんの言うところはそういうことだろう。



また、一人の人間ということで考えてみれば、全てに秀でてる人なんてのは存在せず、それぞれの人はそれぞれ得意・専門な分野とそうでない分野を持っているから、自分が劣ってる分野では「素直なバカ」を演じ、自分の得意・専門な分野では後続の人にアドバイスを送る人となるべき。



また、いくら自分が正しいと思う情報を取り入れていても、それが間違っていたら間違った成長へと一直線となりかねない。自分のリテラシーを磨く、自分の選択が本当に正しいのか疑う第三者の目を自分の中に培うというのも重要だろう。