ネット上でリンクを遡る意味

ブログ記事などで何かが紹介されている時は、たいてい元ネタの記事やサイト、引用元、商品だったら公式サイトや商品アフィリエイトへのリンクが貼ってあるものですが、皆さんはそれらを見に行きますか?


それは本当に信用できる情報なのか?


新聞や雑誌、テレビなんかで公開されている内容に関して、一昔前なら「新聞に書いてあるんだから、本当のことだろう」「テレビで言うんだから間違いない」と判断している人が多かったでしょう。

でも、ネットが普及し、例えばあるニュースに関する記事でも新聞によって取り上げられ方が違うこと、テレビで報道されている番組の内容が専門家から見たらとんでもない内容だったりすること、などが明るみに出るにつれ、新聞だから、テレビだからといって必ずしも正しい内容を公開している訳じゃないんだ、ということに多くの人が気づくようになりました。



事実はひとつしかないのだけれど、それを報道する人が見てる視点、その人の思想などが入り込むことで、同じ一つの事実がまるで違うものであるかのように公開されてしまう。

ごく限られた情報(新聞は一紙のみ、テレビもお気に入りのチャンネルの番組しか見ない)だけを見ているときには、それが事実だと思い込んでいたけれども、多くの情報を見比べられるようになると、実は正しいと思っていた情報も事実をある側面から見たものでしかなかったこと、時には偏った思想で一部のみを強調したり、文脈を切り取って違う意味をもたせた形にして公開されていることもあるんだ、ということを痛感させられます。



新聞や雑誌、テレビなどの話をしてきましたが、一つの事実がそれを伝える人によっていろんな見方となって公開されるってのは、ネットでも同様です。ネットだと、情報公開の敷居が低くて誰でも発信できるが故に、より多くのいろんな見方が公開されることになります。


ある話題について見る時の方法論


じゃあ、いったいどこが、誰が公開している情報を信じればいいんだ?って話になりますが、ひとつは情報の大元、出所である一次情報を見に行くということ。情報というのは、伝言ゲームが繰り返されて人から人へと伝わって幾たびに情報が劣化していくものですから、まずは大元の情報源をしっかり見に行くというのが大事。

そして次に、見ている話題に関するなるべく多くの情報を見るということ。一つ一つの情報が正しいかどうか分からないのだったら、なるべく多くの情報を見て判断するしかありません。



ネットでは、誰でも自由に発信できるという自由度の高さと引き換えに、数多くの情報が入り乱れるようになりました。

こうなったときに、なるべく多くの情報にあたり事実を見定めようとする人と、面倒だから一つだけ見ればいいやとか、ある情報を信じたらもう盲目的にそれしか見えなくなる人との差は果てしなく大きな物になります。

葉や実だけを見て判断するか、木を見るか、森を見るか。見ている視野の広さによって、ずいぶんと違うものが見えてきます。一部分だけを見て判断するか、全体を見て判断するかの違い。



ネット上では、関連する記事をリンクで紹介することによって、記事同士が繋がっています。(一部、これを拒否するような人達もいますが)ネットで何かを見る場合には、このリンクを生かさない手はありません。一つの記事を読むだけで判断するのじゃなくて、それに関する話題までリンクを辿ってみられるというのが、ネット上で何かを見る場合の有意義な見方なのだと思います。


話戻ってネットで何かをみるとき


なんか話がだんだんと大きく、小難しい方になりましたが、最初に挙げた、ネットで何かの記事を見るとき、そこで紹介されているネタ元や引用元を見に行きますか?って話に戻ります。



私はなんでも遡って見に行く癖があるので、何かしら気になった記事がある場合には、そこに貼られているリンク先をよく見に行くのですが、そういうネタ元や引用元を見に行くと、たまに最初に読んだ紹介記事に書かれていることが間違っていたり、おかしな捉え方をしてるってことに気づくことがあります。

つまり、紹介記事だけを鵜呑みにしてると、たまに間違ったことを信じてしまう恐れがあるってこと。



それ以外にも、何かのサービスやツール、商品なんかを紹介している記事の場合は、それを作った人、提供してる人の発信している情報を見ることは、それを気に入った自分にとっても有益であることが多々あります。更新情報だったり、詳しい使い方だったり、トラブルが起きたときに相談できたり、などなど。

また、サービスやツール、商品なんかを気に入って自分でも使ってみてる場合には「良い物をありがとう!」ってフィードバックを直接、作者に返すってのも大事な行為です。それを紹介して広めた人もいい仕事してるけど、そこでフィードバックが止まってしまうのはなにか違っていて、やはり作った物に対する評価は作者まで戻ってなんぼのもの。



ネットの面白いところとして、今までは何かの作者に直接アクセスして、コミュニケーション取るなんてことはほとんど不可能だったのが、ネットによってそれが可能になったって点があげられます。

相手がアクセス手段を用意していてくれれば、こちらからそこにアクセスすることができる。だったら、自分がいいと思ったことや好きなもの、興味深いなぁと感じたことを発信してる人にどんどんアクセスしてしまえばいいんです。



現実では、場所、時間、立場なんかの隔たりがあって直接コミュニケーションできない人でも、ネット上なら「ドコでもドア」を通じて直接会いにいくが如く、気軽に語りかけることができます。ほんのちょっとの勇気さえあれば。



なんかまた話が大きくなってしまいましたが、ネット上の記事のリンクってのは、自分が好きなものだったり、知りたい真実だったり、学びたい知識だったりへと続く道を示してくれる道しるべであって、どんどん辿ってみると今まで気づかなかった世界に続いてる、そんな魔法の扉みたいなものなのでしょう。