中毒を諌めるのはネットの向こうの誰かではなくあなた

今、Twitterユーザーの中で盛り上がってる話題と言えばコレ。

Twitter中毒の夫に不快感 : 恋愛・結婚・離婚 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

夫がTwitterという、ブログのようなチャットのようなものに熱中しています。
やってみたら?と言われてURLを見たところ、平日・休日関わらず、一日のうちに何度も、ひとりごとがアップされていました。
意見やネタを載せるのではなく、ひとりごとや、実生活の実況が、1行ぐらいずつ連なっています。
夫の趣味の仲間も参加していて、最初は、連帯感が面白いのかな、と思っていたのですが、一緒にドラマを見たり、子供と出かけたりした後、夫がリアルタイムで報告しているのを見ると、興ざめするようになりました。
最近では、休日に家族で過ごすたびに、「この瞬間も、数分待たずにTwitterに報告されるのか」と思うと、不快感を抑えられません。

夫には、私の不快感はわからないようです。
私もうまく説明しようがなく、気持ちをもてあましています。

どうしたら良いのか、相談させてください。

Twitter中毒の夫に不快感 : 恋愛・結婚・離婚 : 発言小町 : 読売新聞


「ついに発言小町にもTwitterの話題が相談される日が!!」ってことで、回答が付く前から話題沸騰ではてブに怒濤の勢いでブックマークされているこの話題、質問文がさっそくテンプレートにされてるみたいで。

小町中毒の妻に不快感 - ls@usada’s Backyard

この内容を全く逆に返してるテンプレート的展開から見ても分かるように、発言小町で相談してる事自体がTwitter上で発言してるって行為となんら変わる行為ではありません。



最初の発言小町の質問に、ぶっちゃけて一行で回答してしまえば、「ネットで相談してないで、当事者同士で互いの思いをもっと話しあえよ!」で終了なのですが、何がずれてるのか?って考えてみると、たぶん互いの許容範囲(どの行動は許せて、どの行動はNGだろうって区分)の認識なんだろう、と。



「これって常識ですよね?」って言い回しをネット上でたまにみかけますが、常識なんてもの、誰にでも通じる全般的な物が存在してる訳じゃなくて、極端に言えば人の数だけ常識は存在します。住んでる地域、育って来た環境、学校・仕事環境、その人の社会的立場、周りの知人などなど、多くのシチュエーションにおいて、ある所では常識だと言われることでも、他の所では非常識になったりします。

だから、ネットみたいなさまざまな立場の人が入れ替わり立ち替わりコミュニケーションするような場所では、自分の常識がいつでも通用する、と思ったら大間違い。そして、自分の周りでは当然だと思ってた常識が、ネットで大勢の人に聞いてみたら全然そんなことは無かった、なんてのもよくあること。



でも、家族だったり知人だったりというごく狭い間柄でのことなら、互いに話し合うことができる関係なんだろうから、互いの常識の合わない部分はお互いに話し合って認識し、納得いくまで話し合うとか、互いに納得できる範囲で譲り合うとか、そうやって解決すべき話で、ネットに相談するってのはその後の話なんではないかと。



話題のTwitterの件なら、Twitterは元々日常的な「何してる?」を発言するサービスだけに、その人のプライベートな事柄まで発言しがちで、場合によっては発言者の周りの人のプライベートまでひきずって公開してしまうってことを考える必要があるだろうし、発言小町なら質問するという行為そのものがプライベートを公開してることに他ならない場合が多いってことを認識しておくべきです。



ネットで何かを公開するときには、自分に関することなら自分の責任において自由ではあるけれども、誰か自分以外の人が絡んでいる行為の場合にはその人のプライベートを公開してしまう意味を考えてから公開すべきなんでしょうね。