インプットとアウトプットの両方が充実すると更に面白くなるネット


ネット巡回がインプットにならずただの消費になっていた」を読んで。

毎日200〜300くらい記事読んで、ぶくまつけて、スターつけて、TwitterやらTumblurにポストして。

ネット巡回がインプットにならずただの消費になっていた

つまり、これはインプットじゃあなかったわけだ。だってアウトプット口がないんだから。

ネット巡回がインプットにならずただの消費になっていた

ブクマ(はてなブックーマーク)するのも、スターつけるのも、twitterでつぶやくのもTumblrにポストするのも、みんな一種のアウトプットだと思うけれど。

ブクマやスター、tumblrなら「私はこの記事に興味あります」「感心しました」というアウトプットだし、twitterのつぶやきも立派なアウトプット。

そうして貯めた知識が他人と話すときの役に立たなかったとしても、それはその相手とのコミュニケーションを盛り上げる役に立たなかったって話で、別の人との話のときなら役立つ知識があったかもしれない。



アウトプットが大事だというとき、インプットした知識をどのようにアウトプットへと結びつけてるのか?という道筋によって、その知識が自分に身に付くか、それともただの消費として流れ去ってしまうかって違いは大きい。

ただ、漠然と好きなモノを追いかけて、それを表明してるだけじゃ身に付くものは少ない。自分の頭の中でインプットしたものを再構成してみるとか、逆に好きでないものが何故そうなのかを考えてみるとか。

アウトプットの方法も、他の人がやってないようなオリジナルな形を考えてみるとか、目標を経てて何かにトライしてみるとか。


ただ楽しいからやってることではあるが、一日の時間の大半を費やしている作業が
ただの消費で終わってしまうのではまずい。
自分が蓄えてきたものを誰かの役に立てるようにするか、
それとも会社や他人との会話で必要とされるインプットに重点を移す必要があるように思う。

ネット巡回がインプットにならずただの消費になっていた

ただの消費で終わってしまうんだったら、ぼーっとテレビを眺めてるのと、日々ネットを巡回してるのの間にはほとんど違いはない。テレビと違って、延々と終わらずにはまってられるネットの方がたちが悪いかも。

自分がインプットしたものを「誰かの役に立てるようにする」、つまり再構築したり、分かりやすくまとめたりしてアウトプットする、ってのは自分の身にその知識がつきやすいし、日々のコミュニケーションで使う知識をネットから学ぶってのもネット巡回を有意義なモノにしたいならいいかもしれない。



ネットの醍醐味は、膨大な量の知識をインプットできること、そして自らの考えや経験、知識を世界中にむけてアウトプットして熟成させられること。インプットだけで満足しちゃうなんて、勿体ない。