さまざまなネットサービスでネット上を生きる形


最近使ってるネットサービスはというと、

辺りが中心で、それをどう使い分けてるか考えてみる。

ネットサービスの位置づけを図にしてみた


縦軸にオープン(公開)・クローズ(非公開)という公開先、横軸に情報消費(リアルタイム)・情報蓄積という時間と情報の処理形式を並べ、それぞれのサービスがどこら辺に位置しているかを図示してみたのがこれ。



twitterは各ユーザーのつぶやきがひたすら流れてるのを、それぞれのユーザーごとのタイムライン(リスト)というフィルターにかけて見てる。プライベートにして閉じればクローズなやりとりも出来なくはないけど、オープンにしてひたすらつぶやく、人のつぶやきを見る、って使い方が多いように思う。

ただ、これはtwitterを最初の頃から使っていた、比較的ヘビーユーザー側の使い方で、後発で始めてみた人達にとっては、自らが呟くよりかは有名人のつぶやきなんかをフォローして見るためのツールという意味合いが強いのかもしれない。



次にblogだけど、秒単位で更新されるtwitterなどと比べると更新頻度が高いところでも数エントリ/日くらいのペースってことで、速度が落ちる代わりに情報が蓄積される密度が高い場合もあって、長くずっと読まれることも多い。

公開先がオープンかクローズかというのは、クローズのするのであれば、次に述べるSNSの方が使い勝手が良さそうってので、ブログではオープンな所が多いと思われる。



図ではfacebookとしてしまってるけど、mixiとかも含まれるであろうSNSとしては、今ではtwitter的なマイクロ・ミニブログ、普通のブログ、フォトシェア、コミュニティ、ゲームなどなどさまざまな形式を網羅してることもあってリアルタイムな情報消費から、コミュニティ的な集まり、日記などである程度の蓄積型の情報まで幅広く取り扱われている。

必要に応じてアクセスコントロールをかけて、見せる相手を指定できるSNSは基本クローズな形式だけど、SNSのユーザー数が増え、全体公開などにしていると次第にオープンな形式へと近づいて行く。



最後にwiki。ウェブ上でコミュニティ的なものを作るときとか、自分(+知人)のメモ的な場所として利用しており、更新頻度が高い場合もあるが、基本的に情報を貯める場所として利用している。載せている情報によって、オープンだったりクローズだったり。


どこに情報を公開するか


これらの4種類のサービスを使うことで、ネット上における活動のほぼ全域をカバーできるようになった。具体的には以下な感じ。図に入れてないサービスも入ってるけど気にしない。


いろんなサービスを連携させながら、あちこちにさまざまな情報(自分の思考、行動記録(ライフログ)、気になるもの(商品、画像、リンク))を発信している。


ネット上の自分を形成するもの


ネット上で自分を自分として形作るのは、名前情報(ID、アカウント名、HN、実名などのテキスト+アイコン、写真などの画像)を軸として、いったいどういう情報を発信しているかということ。

より多くの情報を発信するほど、それを見ている人達の中にその人の姿が形成されていく。



よく言われる「ネット上では発言しなかったら居ないも同然」ってのは、情報発信しなければその人を形成する情報が何もなくて存在しないも同然ってこと。



ネットに情報を発信するというのは、それを見てる人達に自分の存在に気づいて欲しい、同じことに興味を持ってるなら声をかけて欲しい、という思いが根底にある。

現実の限られた選択肢(学校・職場など限られた人間関係、距離、年齢、地域の壁)を飛び越えて繋がることができるというのはものすごい可能性であり、これを使う使わないでは自分の人生の幅がずいぶんと変わってくる。


情報が固定化され残るネットの特性


また、現実では時間が普通に経過していくが、ネット上だと情報公開した時点で記録が残る、つまりその時点での情報が固定化される。

これは肯定的に捉えると時間も超えて自分という存在を拡張できるが、否定的に捉えると過去のミスや失言、一貫しない主張なども残ってしまうという。



ネット上の存在(あるHNなどに紐づいたもの)を大事に扱うなら、何を発言して何を発言しないかという取捨選択は非常に重要だし、ネットを現実ではない別世界と捉えて好き放題したい人達は自分というものが固定されてしまわない匿名を好む。


現実とネットの両方に生きる


ネットというのは不思議な場所で、ネット上に公開されている情報は基本、それを公開している誰かが向こう側にいて現実と繋がっている。

現実が自分を中心とした極狭い関係の中で成り立っているのに対し、ネットでは人間関係・距離・時間・立場などを簡単に飛び越えて繋がることができる。



ネット上で実名なり、なんらかの名前をずっと継続的に使って活動している人達はネットを現実の延長線上として使っている。ネットを使って自分の現実空間を拡張してるようなもの。



今の若い世代、生まれながらにしてネットが存在してる時代に生まれた人達は、こういう感覚を素で持ち合わせているようになると思うが、自分を形成していく時期にネットが当たり前のように横たわってるというのは、ものすごいうらやましいような、一方で非常に怖いような、なんとも言えない感じがする。