住む場所で異なる世界、ライフスタイルが生まれること

都会出身のライフスタイルについて」を読んで。
(+増田の追記「元増田です。 俺が野暮いだけなんですよね。 書く前からわかってたけど。 ..」)

これって、何も無い田舎に住んでた人と、何でもある都会に住んでた人とのライフスタイルの違いがそっくりそのまま出てるだけだと思うけど。人口5万の登別市、190万の札幌市、1300万の東京都と住み比べてみてよく分かる話。



何も無かった田舎から出てきた人が、都心まで一時間の距離に暮らしネットで便利になった今の時代を見て何か不満があるだろうか?と言うのは、0から50になったようなもの。もう片方の都会に住んでた同僚が都心まで一時間の距離だけど、何かにつけ都心の便利さとの違いが気になるのは100が50になったから。



前者は世の中便利になった!で、後者はこんな不便なところに!もちろん、どっちがいいとか悪いとかって話じゃなくて、ライフスタイルが違うってこと。


都会と田舎の移動手段の違い


東京に住んでた頃はまさに駅から駅への移動だらけだった。どこに行くにも、まずは乗り換え案内で路線を調べてから、後はとにかく電車移動。どこまでも電車で行けるので、とにかく電車で移動するのが中心となるし、電車での移動が1時間とかでも普通に感じるようになる。



そして田舎に戻ってきたら、もう電車もバスも全然乗らない。5年で片手の指で足りるくらいの回数しか乗ってない。移動はもう車大前提。もしくは徒歩圏内での活動。


何もかもが溢れる都会と決まりきったものしかない田舎


東京に出て驚いたのはとにかく店が多いこと。飲食店なんて、誰がこんなに飯食うの?ってくらい並んでて美味しい店からまずい店までずらりと。あらゆる物が売ってること。多種多様な店が駅を中心に色とりどりに並び品揃えも豊富。とにかく、多種多様なモノや情報に溢れ、選択肢が多い。



片や田舎はというと店は決まりきったパターンの店舗が多い。イオンにホームセンター系にツタヤにゲオ、後は電化製品系のチェーン店がぽつぽつと。生活に必要なものは充分足りてはいるが、都会のような賑わいは無い。飲食店は少なく、チェーン店系な店舗が参入しても淘汰されることも多い。そりゃそうだ、そもそも外食の機会が少ないのだから。


ネットで可視化される時間のズレ


ネットで通販が利用できるようになって、たいていのモノは自宅に居ながらにして購入することができるようになったけれど、本州の都心部と北海道の片田舎だと即日配送と2〜3日遅れ配送なんて差があったりして、都会と田舎の差を思い知らされる。テレビ放送だって遅れる。ネットでリアルタイムに同じ時間を共有することができる時代だからこそ、こうしたタイムラグは埋められない溝を感じさせる。


映画


田舎にも映画館はあって、人気作品ならまあ地元で見るのも可能なんだけど、ちょっとマイナーな作品だったり、限定上映だったりするともう映画一つ見るのに片道120km、車飛ばして見に行かなければならない。なんか孤高な趣味?みたいに感じてしまう。


でも、都会なら映画館なんてあちこちにあるし、電車でちょちょいと移動すればマイナーな作品だって見に行ける。簡単に見に行けるから気軽に人を誘って映画を見に行くなんてのが普通にできる。


ノマド


都会に住んでるときはファーストフード店やら喫茶店やらを移動の合間やちょっとした空き時間によく使ってた。電車+徒歩移動が基本なので、空き時間をつぶすためのそういう空間はありがたいし、そういう場所を使うことになれてくると、そこで勉強したり仕事したりするってのも気にならなくなってくる。都会じゃ、人多すぎでそんなにみんな他人のことを気にしてない。


田舎じゃダイレクトに目的地に行って帰ってくる的なライフスタイルなので、そもそも喫茶店とかあまり入らない。車で直接移動しちゃうし。この辺じゃノマドもホームレスも居ない。どっちも生き延びられない。たぶん環境がそういう存在を許容していない。


回転寿司


寿司の醍醐味ってあらゆるネタがあるってこと、客はいろんな種類のネタをいろいろ楽しみたい、だったら回しちまえ!選びたい放題だ!と言ったかどうだか知りませんが、まあ回転寿司の醍醐味って好きなネタを好きに食べられるってとこ。


北海道の回転寿司のレベルは高いとよく言われるけど、東京の回転寿司も美味しいとこのは美味しかった。寿司バンザイ。


知らないライフスタイルは想像では理解できない


モノで満ち溢れている都会の世界を知ってしまうと、地方の、田舎の世界に不満を感じるというのは分からないことではなくなる。まあ、無いものねだりになってしまうのだけど。


一旦知ってしまった便利な世界、選択肢が多い世界ってのは、それが得られない環境になったときに物足りなさ、不満を感じてしまう。それまで当たり前に享受できていた環境が無くなってしまうのだから。



本屋に並んださまざまな本を手に取りながら、なにか新しい書籍との出会いを楽しむことがその人にとってのライフスタイル、生きがいなのだとしたら、満足できる本屋が近くにない場所での生活というのは、その人にとって満ち足りない生活だというのは想像に難くない。そこに違和感を覚えても仕方ない。


増田には充実した本屋は必要なくても、彼女のライフスタイルには必要なのだから。何に生きがいを見出してるのかって部分なのだから。