ブログを更新再開するときに再会する人

北の大地にも夏らしい暑さがやってきて、これぞ夏休み!な8月10日、いや気づけば11日になってましたね、こんばんわ。ひさびさのブログ更新です。ひさびさのブログ更新なので、ブログ話辺りから。


ブログを書いてる理由


ネット黎明期のホームページ作成辺りから流れ流れてブログへと行き着いたネットで何かを発信するという行為、何らかの目的があるからネットで何かを発信してる訳で、それが自分の場合なんだろう?っていうと、自分の考えてること、思ってることを何処かの誰かに読んでもらいたかった、ってところに行き着きます。



家族や友人、学校や職場の同期、知人など、自分の身の回りに居る人々とコミュニケーションを取る中では、それぞれで出す話題の種類が違ったりします。相手が興味無いことを無理に話続けても意味がないし、関係上出しにくい、出さない方がいい話題もあったり。そうすると、自分の中で何か話したいことがあるんだけど、それを話す相手が居ないなんて事柄も出てきます。



特に趣味方面なんかでは、周りに同じ趣味を持つ人がいないと、それについての話題を聞いてもらうことが出来ないってことはありがちで。そういう、誰かに話したいけど話す相手がなかなかいない自分の心の中に溜まったものを書く場所としてネットはうってつけな場所で、形式的にはブログってのがベストだったと。


ブログを書くときに必要なエネルギー


化学反応が起こるときには、超えなければ反応が起こらないエネルギーの山があって、活性化エネルギーって呼ばれてるけど、ブログを書くときにも超えなければ書き始められないエネルギーの山があります。


自分の中にたまってる何か言いたいこと、伝えたいことが原動力になってる私の場合だと、言いたい、伝えたいって自分の中のテンションの高まりが、このブログ執筆化エネルギー(勝手に命名)の山を超えさせてくれるのですが、周りにそういう話を聞いてくれる人がいるとそこでガス抜き出来ちゃったり、ずっとブログ書き続けてると潜在的な何か言いたいテンションの高まりがじわじわと抜けて、噴火し終わった活火山みたいに休眠期に入ってしまうと。



私がブログ更新するのをがーっとしばらく続けたと思ったらしばらくお休みして、気づいたらまた更新し始めてるみたいに更新したり、止まったりな時期を交互に繰り返してるのは主にそういう状況からだったりします。


ブログ執筆化エネルギーがたまらない時


ブログ執筆エネルギーの増減に影響を与えている要因は他にもいろいろあって、まず日々の生活が枯れてるときはエネルギー発生しません。日々の生活が枯れてるってのは、外界と接してない、外からの入力を受け付けてないような時期のこと。外からの入力や刺激がなければ、ブログでなにか書こうって気にもなりません。



趣味でゲームしたり本を読んだりってのがありますが、それにどっぷりハマってるときもエネルギー発生しません。その話題を共有したくなるとエネルギー発生しますが、それ自身をもくもくと堪能してる時にはそれに集中してて、ブログ書こうという意欲はそっちにかなり吸い取られます。


ゲームとか漫画の話題を中心としてるブログを書いてる人は、それを堪能する時間とブログ書く時間ってどう両立してるんですかね。きっと、一日48時間欲しい!って言われそう。


ブログを書くことで得られるもの


ブログを書くことで得られてるのは、自分が書いたことをどこかの誰かが読んでくれているという実感、それに対する反応、後から過去の自分が書いたこと(その時に思った、考えていたこと)を見られるという記憶の外部化、ささやかな報酬、書くときに必要な自分の頭で考えるという行為などなど。


ブログを金銭的な報酬を得るためのもの、高い自己承認欲を満たすためのもの、と捉えちゃうと、たぶん炎上しやすい内容にせざるを得なくなるし、事実そうやって燃え上がって爆散しちゃうブログも多い。


ブログを再開するとき


ブログを再開し始める度に思うのが、ブログを書くってのは自分自身と語り合うことなんだよなーってこと。外に向けて何かを発信するためにいろいろと自問自答するのが、自分の考えてることをより深めたり、新しいことに気づいたり、白だと思ってたのがよく考えてみたら黒だった、みたいな結論になってみたり。自分のブログの一番の読者は自分だとよく言われますが、自分と自問自答しながら作り上げてれば自然とそういう形になります。



ブログを再開することで、もうひとりの自分に再会する、そんな懐かしい知人に会うような感覚でまたブログを書き始める日々がやってきます。