ネットは愚民が集う場所なのか、天才がいる場所なのか。


デジモノに埋もれる日々: Wisdom of Crowds は「衆愚政治」? いやいや、「天才の良いトコ取り」です。」を読んで。

 Wisdom of Crowds は、みんなの平均を取るんじゃないですよ。
 みんな1人1人の得意分野が違うのに、わざわざ平均を取ったら
 衆愚になるなんてのは当たり前です。Wisdom of Crowds っていうのは、
 
  『 天才の良いトコ取り 』 ですよ。
 
 場面によって「それを一番良く知っている人」は違うんです。だったら、
 その時その時で、一番良く知っている人の意見を聞いたらいいじゃないですか。
 そうすればその結果は、大量の にわか専門家の知の集約 になるんですよ。

web2.0を語る上で出てくる用語ってのは、ホントそれが理解できない人に説明するのが難しいものばかりですよね。


理解してる人ってのは、誰かの説明を聞いて納得したってのじゃなく、実際に自分がそのCrowdsの中の一人として参加してて、そして全体から得られるWisdom of Crowdsという出力を見て、これはみんなのいい所を出し合って集約するすごいしくみなんだって自分の体験を持って理解してるので、やはり実際にそれを見てない人にそれを説明するのは難しい。

ウェブ上でいろいろ活動して、ネットを通して見ることのできる世の中にはさまざまなすごい人がいっぱいいるんだってのを知るって体験がない人に、Wisdom of Crowdsの話を説明しても、「どうせネットに参加してる人なんてそこら辺にいる一般の人なんだろ?そんなのがいくら集まったって素晴らしい考えになんて至るわけないじゃないか」って結論に行ってしまいがちなのかもしれません。なまじ現実世界でエリートと呼ばれるような集団に属している人々の場合には。



社会全体から幅広く意見を募ったりした場合、分かりやすい意見にみんな流されてしまったり、目先の話に注意を奪われて冷静な判断ができなかったりで、俗に言われる衆愚政治のような状態に陥りやすいというのは確かにあると思います。もちろん、それはネット上でも同様。


でも、ネット上では現実社会にありがちな身分や立場、年齢、肩書きで意見を変えてしまうような風潮は少ないですし(むしろネット上でそういう行為は忌み嫌われる)、一方的な流れの意見が多くなるとどこからか反論が出てきて片方の考えによりすぎないようなバランスを取る感覚も見受けられます。それに加えて、上述の身分や立場、年齢、肩書きと言った部分ではなく、実際の中身(意見)で評価されるというしくみもある。

いままでの現実社会では、いろんなしがらみから聞き入れられなかったり、みんなに届かなかったりした素晴らしい意見もネットでは多くの人の目に止まりみんなの賛同を得ることができる土壌があります。どこかにいる誰かの素晴らしい意見が、誰かの思惑で叩き潰されたり、隠蔽されたりすることなく、きちんと生きるのです。


もちろん、何も考えずに発言してたりするのは現実でもネット上でも役に立ちません。でも、自分の頭でしっかり考え、発言なり賛同なりすることは、衆愚政治となってしまう原因の一人になるのではなく、Wisdom of Crowdsと呼ばれる集合知を担う一人になれるのです。

すでに長くネットに参加している人々はこの事実に気づきつつありますが、この考えがより多くの人に広まることを願っています。