自分の場所で発言するのに迷惑なんてない


魔王14歳の幸福な電波 - 公共のインフラで主観を表明するのは迷惑」を読んで。

元記事の公共のインフラってのがどういう意味を指しているのかよく分かりませんが、ウェブ上で主観を表明するのは迷惑では無いんじゃないかと。


公共のインフラ=ウェブ上、ってことで考えて見ると、その発言に価値があってもなくても発言する自由はあります。価値があるものしか発言しちゃいけない、なんていっても誰がその価値を判断するのか? 価値を判断するのはあくまでそれを見た人であって、誰かにとっては価値がなくても、他の誰かには価値がある発言なのかもしれない。

アニメや映画を見て「面白かった」や「つまらなかった」などの主観を記事にする価値ってあるのだろうか?みたいなことを最近は考えています。

不特定多数の人が見る場所で、公共のインフラを使って主観を表明するのってすごく迷惑な行為ではないだろうか

というのは、

単純に「面白かった」「つまらなかった」と(主観を)語ることに価値はないのでは?ってことなのかな。

主観、客観が問題ではなくて、面白い、つまらない程度の情報量をあえて記事にすることの意味。



そういう感想を書いた記事を読む方としては、主観、客観によらず、より詳しく書いてあった方がありがたいですが、「面白い・つまらない」、だけだとしても、それが自分がその作品を見た感想であるのなら、価値はあると思います。

逆にその作品を見てもいないのに、ああだこうだ語っているのにはあまり価値を感じません(多くのネット通販サイトでのレビューで感じること)


もちろん、より価値がある記事にしたいと思うのなら、単純な「面白い・つまらない」だけではなく、何がおもしろいのか、見所は、他のこんな作品もあるよ、こうだったら良かったのに、など書けばいい。


ブログやSNSの自分の日記など、自分のエリアで主観的に語るのは、なんら迷惑な行為ではないと思う。公共のインフラとはいえ、誰かに無理やり見せ付けるのではなく、見に来ないと見れないものなのだから。

それが他人のエリアだったり、共通の場所だったりした場合は、話がちょっと違うかもしれないけど。