面白いことに巡りあうために

世の中、いろんな面白いことには旬な時期があって、本当に面白い旬の時期を見ようと思うのなら自分の観測範囲を広げるしかない。面白いことが紹介されたのを見に行ってもたいてい旬の時期はすぎている。

世の中には、いろんな面白いことが溢れてて、そんな面白いことを手軽にキャッチできるようになった今の時代。


ブログやTwitterの紹介文で「新しい物好き」と書いているように、いろんな新しい物、新商品だったり新しいWebサービスだったり、とにかく今までに無かったような新しい物を、ドキドキワクワクしながら体験するのが大好きなのですが、新しい物を探し回って、真っ先に飛びつくなんてことをずーっとやってると、その製品なりサービスなりがどういう風に変わっていくかも目にすることになるわけです。



新しい物が面白い、と感じられる要素のひとつとして、新しい物を楽しもうとしている人たちの中には「この新しい製品、サービスはどうやって楽しむのだろう、それを見つけて楽しみたい!」という自ら面白さを発掘し、それで盛り上がろうとする熱意があること。

例えば、ネットゲームなんかだとよくβ版と称して、正式リリース前に公開テストをやったりするのですが、β版な状態でまだ不具合などがあるにも関わらずプレイしにやってくる人たちは、そんな不完全な状態のサービスでも面白いところを探して盛り上がるんです。

自ら能動的に楽しもうとしている人たちが集まると、一見つまらないと思えるものの中から面白さを発見したり、より面白い使い方を発見して共有したり、激しい盛り上がりを見せたりと、その製品・サービスを盛り上げていきます。こういう、一種お祭りのような面白さは、盛り上がり初期に参加しないと体験できなくて、これは面白いものを探し回ってる人の醍醐味だったりします。



逆に、ある製品・サービスが盛り上がった後にやってくる人々は、「この製品・サービスが面白いと聞いてやってきた、さあ楽しませてくれ」と受身な態度のことが多く、もちろんそれだけで面白さが下がるわけでもないのですが、ユーザー的な盛り上がりは初期の頃の熱さからどんどんと盛り下がっていくことが多い。



自分ひとりだけで単独で楽しむような製品・サービスではなく、他人といっしょになって楽しむ製品やサービスが増え、単独で楽しむものもネットでそれを話題にして盛り上がることができるようになった今では、「製品・サービスそのものの面白さ」+「それを支えるユーザーの熱意」がその製品・サービスの面白さを決める時代になってきています。



こんな時代に面白そうなことに出会いたいならば、いち早くそういう面白い物を発掘してくる人を探して、その人に注目するのが最適です。個人で情報発信できるようになったおかげで、そういう人を見つけるのも簡単になりました。

そして、面白そうなことを発見したら、楽しませてもらおう、じゃなくて、自らいっしょになって楽しもうとする心意気が大事。受身じゃなくて、自ら楽しもうとすれば、世の中いろんな面白い物が見えてくるかもしれません。