自炊している人達は電子書籍の形で作品を読みたい正規の読者

逆の明文化となるか:東野圭吾さんら作家7名がスキャン代行業者2社を提訴――その意図 - 電子書籍情報が満載! eBook USER
スキャン代行業者提訴で作家7名はかく語りき - 電子書籍情報が満載! eBook USER
東野圭吾さんらの提訴に関する津田さん、おかざき真里さん、大原ケイさん、赤木智弘さんの呟きまとめ。 - Togetter」を読んで。

スキャン代行業者提訴に関し、原告側が語った内容についての記事。



紙の本を裁断しスキャンすることで電子書籍化することは「自炊」と呼ばれ、裁断やスキャンには機材やスキルが必要ということもあって、それを代行してくれるスキャン代行業がここ最近増加の一途を辿っていた。そのスキャン代行行為が、著作権法の「著作物の私的使用を目的とする場合は、その使用する者が複製することができる」に当らず、複製権侵害に当たる、というのが提訴の内容。



スキャン代行業者を使って自炊を行う場合、その複製という行為を行う主体は依頼者であり、スキャン代行業者はその作業を代行しているに過ぎないのだが、杓子定規的に法律を適用すると複製権侵害に当たると主張できるため、これを持ってスキャン代行業の普及を規制しようという流れでの提訴だと思われるのだが、記者会見の内容を見ていると本質的な部分ではなく感情論的な本への想いという部分で訴えているように見える。


今回の件に関して大変危惧というか憤りを感じるのは、そのようにして創り出した本が、見ず知らずの人の手によっていいようにされ、私のあずかり知らぬところで利益が生まれているということであります。

 裁断された本、私はあれを正視に堪えない。自分の書いた本があのように手足もバラバラにされ、さらにはネットオークションで売りに出される、結果的にこういうことまでやる業者の方々に対しては、何ら正当な論理が私には感じられません。

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スキャン代行業に関しては、作業に対しての対価という意味で料金が払われているのだと思う。そして、裁断した本をネットオークションで売りに出す行為は褒められた物ではないけれども、それを行っているのはスキャン代行業者ではないと思うのだが。



自ら機材を揃え、購入した本を裁断してまで電子書籍化を行うというのは、購入したCDに入っている音楽をウォークマンに移して外で聞くのと同様に電子デバイス電子書籍を入れて読みたいから、本を置くスペースが厳しく少しでも場所を取らない方法で本を読みたいから、というニーズからくる行為。

しかし、機材や手間、スキルが必要なため、それを代行する業者が出て来たという経緯があり、このこと自体は、出版元がもっと電子書籍化を進め普及させれば、わざわざ自炊という行為を行う必要が無くなる。



電子書籍が欲しい、という利用者のニーズに答えられないうちに、それを欲する利用者がどんどん増えてしまったという現状をふまえず、スキャン代行業者を取り締まっても自炊という行為自体は無くなりはしない。


利用者は何を欲しているのか?

本というものがあったとき、その利用者はいったい何をそれに求めているのだろうか? これはCDというメディアにおいて利用者は何を求めているのかという話と似ている。



本、紙で作られているそれには文章、挿絵、写真などが掲載されている。では、もし、「紙で作られた本という形」そのものとそこに掲載された内容である「文章、挿絵、写真など」が分離できたらどう感じるだろう? 利用者にとってどちらが必要とされているのだろう?

当たり前だが、利用者が必要としているのは、「文章、挿絵、写真など」の方であって、「紙で作られた本という形」の方ではない。



今まではそれを分離する事は不可能であったが、今はスキャンという行為もしくは版元からの電子書籍化によって、「文章、挿絵、写真など」のみを抽出して電子書籍という形にすることができるようになった。もちろん、作家にとっては「紙で作られた本という形」と「文章、挿絵、写真など」の両方で作り上げられた本というのは分離不可能なものという認識という人も多いのだろうが、今の時代はそれを可能としてしまった。


裁断された本の価値


裁断した本をネットオークションで売りに出す、というのは本をネットオークションで売るというのを何が違うのだろう? 従来であれば、裁断されバラバラにされた本がネットオークションで売られていても、本としての価値が無くなったものは単なる古紙でしかない、という扱いを受けたのだろうが、自炊ニーズが高まっている今では、裁断の手間を省いてくれた状態で売られている本という新しい見方もできる。



本がネットオークションで売られるのは良くて、裁断本がネットオークションで売られるのはダメだ、とする場合の理由ってなんだろう? 海賊版が溢れるから、というのはもっともな様で理由になっていない。そもそもネットオークションで裁断本を買わなくとも、海賊版を作って配布する人達は自力でコピーを行うだろうし。

裁断され電子書籍化した後の本を売るというのは私的複製を超えた行為ということもできるが、ネットオークションで売られている裁断本が、裁断され電子書籍化されたか、単に裁断されただけかの区別はつかない。



電子書籍化したデジタルデータそのものを私的複製の範囲を超えて公開したり、配布したりするのは明らかに違法。ただ、この場合、配布・公開していることが違法なのであって、電子書籍化する行為そのものが違法なのではない。



海賊版を減らす一番いい方法は、正規の電子書籍をどんどんリリースすること。

その作家が書く文章そのものを読みたいのに、いつまで経っても正規の電子書籍がリリースされず、仕方なく本を購入して裁断し自炊する、というのが歪んだ形なことは間違いない。

作家が紙媒体に拘りたい気持ちは分からなくも無いが、同じ様に電子デバイスで作品を読ませてもらいたい読者もいる。



大量複製にはコストがかかり、難しかった時代から、簡単にデータだけをコピーできる時代になった今、著作権法そのものを今の時代に即した形に変更する必要がある。そのとき、著作権法とは一体何のための法律だったのか、ということを今一度思い返してみたい。


第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的としている。ここであげられている「著作者等の権利」と「文化の発展」、どちらかだけの主張が強くならないバランスが重要なのではないだろうか?