趣味は誰のためのもの?
例えば音楽を聴くときって、その作曲者がどうとか、何で使われている曲とか、どういうジャンルだとか、流行ってるとか、そんな理由で聴く人って多いんだろうか?
その歌が好きだから聴くんじゃないんだろうか?
あのドラマで使われていたから、とか知り合いに薦められたから、とか今流行ってて街中でよく聞くからとかいうのは、全てその音楽に出会うためのきっかけにすぎなくて、結局の所、その曲が好きかどうかという判断は自分の価値観で決めるもんなんじゃないんだろうか?
昔、知り合いとクラシック音楽の演奏を聴きに行ったとき、私にとってのクラシック音楽は学校での音楽の授業と歯医者とかで流れてるリラックス音楽って認識しかなくて、まぁ、聴いてるうちに途中何度か寝てしまった訳ですが、その後で「クラシック音楽は知らない曲聴いてるとなんか眠くなっちゃうんだよねえ。あ、でも知ってる曲だと眠くならないや、まぁ、ゲームとかアニメとかの曲をクラシックで演奏したのとかしかCD持ってないけどね」と話したのに対して、ゲーム!アニメ!! なんかそんなのクラシックじゃないよ的な反応を返されたことがあって、なんかすごいげんなりしたことがあります。
いや、正確にはたぶん、そんなのクラシックじゃないよってのじゃなくて、そういう経路でクラシックを聴くのってどうよ!ってことだったんでしょうけど、最初の話に戻って、どういうきっかけでその音楽にたどり着いたのかっていうのがそんなに重要なんだろうか?と。
音楽にかかわらず、趣味的なもの全般に当てはまる話ですけど、100人のいたら100人それぞれの価値観があって、どれが正解なんてのはなくそれぞれ自分が好きだと思うものがその人にとっての正解で、人が何を聴いてるとか、こういう文化的な流れがあったとか、何がきっかけだったとか、そんなのは全て些細な話じゃないのかと。
だから、例えば音楽でどんなの聴きますか?って聴かれると結構返答に困ることが多い。自分のiPodの中だけ見ても、これってジャンルじゃなくていろんなのがずらっと並んでるから。たまたま、いろんなきっかけで聴くようになった曲を片っ端から集めてるので、あまりジャンルとかにこだわりはないです。
でも、もちろんジャンルにこだわって好きな曲を集めるのもアリだと思うし、アーティストに注目するのもいい。人の数だけその人なりの音楽ライブラリがあって、その多種多様さ面白いと思うし。人の音楽の趣味にケチつけたりとかは、なんだろう、「そんな聴き方は分かってない」「そんな音楽聴いてるなんて、あなたの思考の程が伺える」、そんなことは言えないよなー、なんて発言をネット上だとちらほら見かける。
何かを語るなら、自分で体験して自分の言葉で語ろうよ。
と、趣味の分野における話題では思うことしきり。ゲームとかも同様な思いをすることが多い。
そんな訳で、
体験せずに猫知り顔で語る奴らに泥団子を投げろ!
というタイトルがまとめだよなー(笑)って記事に感化されて書いてみました。
上記エントリでも触れられている
日日ノ日キ - これから音楽に出会う若い人たちへ〜ダッシュ君、そしてダッシュ君と同じ気持ちの人に向けて〜
も、いいこと書かれてるので読んでみるべし。
・・・・・・猫知り顔、ってなんだろ?(笑)
趣味の世界なんて、あちこちに自分よりすごい知識を持ったすごい人がいて、でも、一人一人それぞれの世界があって、自分の世界をどれだけ楽しめるかに尽きるんじゃないかな。人よりも自分の世界のがすごいんだぜ!とかそんな自慢よりも、私の世界にはこんな素晴らしい作品があるよ!って言葉を聞きたい。