Web3.0の先を読む


web2.0とブログの可能性 平日しか更新しないブログはweb2.0、土・日曜日も更新するのはweb3.0」を読んで。

サラリーマンにとり土・日曜日は会社が休みだ。だからブログも休む。しかし、土・日曜日も書き続ける人がいる。さらに読む人もいる。当たり前だが、その当たり前が今は非常識になっている。非常識を打破するとweb3.0の世界が見えてくる。

平日しか更新しないようなブログと比べ、土日も更新するようなブログがWeb3.0の世界を担う、量で圧倒するのがWeb3.0らしい。

毎日更新から、いつでも更新が普通になるWeb4.0


そして、毎日更新するような人々が作り出すWeb3.0の世界が広がる頃には、毎日更新どころではなく、一日中行動を記録するような次の世代の人々が現れる。今のデジカメ、コンピューター、携帯電話などの入力装置が進化し、ネットワークはどこでも使えるようになったよりシームレスにデータを公開することができる時代だ。

デジカメは撮影したデータを直接ウェブ上に保存するようになり、アップロードする手間がかからなくなる。無線LANによるネットワークインフラが幅広く構築され、どこにいてもすぐにウェブにアクセスすることが可能になり、毎日どころではなく、一日に何度もブログを更新する人々が数多く現れるようになる。


この変化によって、ウェブ上に蓄積されるデータは現在よりも更に飛躍的に多くなり、Googleが目指すような全ての情報がネット上に存在するような世界に確実に近づいていく。

記録する人の意志すらいらなくなるWeb5.0へ


そして、その先に来るのは人が行動や考えをブログに記録しようとしなくても、コンピュータがさまざまな人の行動を記録し、自動的にネット上へと残してくれる時代がやってくる。さまざまな人々の行動を記録するための自動入力装置が世界のさまざまな場所に設置されるようになり、記録しようという意欲を持たない人の行動までもが記録されるようになる。

もちろんそれに至るまでには、プライバシーの侵害だという一般市民の抵抗も起こるが、個人では記録した情報を直接参照できない仕組みが開発され、全ての集められた情報はコンピュータ上で人が関与しない形でデータとして処理され、我々はその出力結果のみを得ることができるようになる。個人情報をうまく排除した形で有効な情報のみを再利用できるようになったおかげで、プライバシーの侵害という大きな問題点もクリアし、データのインプット側の形は最終形態へと大きく近づくこととなる。

人間の思考がネットに繋がるWeb6.0


行動という形のデータはすでにWeb5.0の世代で自動記録されるようになったが、人々が頭の中で考える思考はその方法では記録することができなかった。

しかし、人の叡智はそれすらをも記録可能とする。20世紀後半から急速に進んでいた脳に関する様々な研究が実を結び、脳波を読み取ることで人々の思考を記録することが可能となったのだ。このことは、いままでは入力装置を介して、思考をネット上へと記録していたのが、脳とネットが直接接続される形へと変化することを意味する。自分の頭の中で考えていることが、そのままネット上に記録されるということは、大きな質的転換を意味する。

ネットは多くの人をユニットとするグリッドコンピュータのような形となり、過去の膨大な思考の記録から、新しい考えを導き出すことができるようになる。


かくして、世界はひとつになる。


WebX.0ブームはどこまで続くんだろう?


Web3.0が量による変化、と仮に考えてみると、その後はどのようにWebが進化してくのかなぁというのをSFチック?に妄想してみました。あくまでもネタですよ、ネタ(笑)


この手の話は、だいたい先に現象があって、その後から過去には存在しなかった新しい流れをまとめると、「そういうのがWebX.0なのさ」みたいにまとめるのに用いられているようなところがあって、先に予想するのは野暮ってもんなんでしょうが、あえて妄想してみました。考えるだけなら自由だしね(笑)