ソーシャルブックマークに巡りあえた喜び
「あんたジャージでどこ行くの: ソーシャルブックマークに何を求めるか。」を読んで。
ソーシャルブックマークに何を求めているのか?という記事。
僕ははてなブックマークをブックマークとして見ていない。ソーシャルブックマークの有用性というのは、たくさんのブックマーカーの存在によって生まれるものなんじゃないか。ホットエントリーなんていうのもそう。フォークソノミーもそう。個が集まった結果生まれる価値。
でも、僕はそういう中の「一要素」になりたくないし、そうなっていない人に魅力を感じるのだろうと思う。鬱陶しい存在だと自分でも思う。
ソーシャルブックマークが多くのブックマーカーのブックマーク行為から成り立つということを理解しつつも、ブックマーカーとなることを拒否するという心理はどこからくるんだろう?
俺は歯車じゃねえんだ!って自分のブックマーク(興味)を利用されることへの抵抗の気持ちの表れなんだろうか? 「明日は明日の風が吹く - ソーシャルブックマークに何を求めるか。(from あんたジャージでどこ行くの)」でyas-toroさんもソーシャルブックマークを付ける行為は続かないと言う。
ブックマークを付けるメリットがそれほど感じられない、心理的に気が引ける、あたりがブックマークしない理由として大きそうです。
私とかは根が単純?なのか、自分が付けたブックマークが全体の集合知に使われるってのは、逆に心地よく感じる方。
私の場合には、もともと自分が見た記事を積極的にブックマークしたい(アーカイブ化したい)って強い願望があって、更に自分のブックマークを有効活用してもらえる(多くの人が参考にするであろうホットエントリなどを出力する元になる)となれば、むしろ付けない方が考えられない、って状況で、ソーシャルブックマークにはまる素養が十分にあったのでしょう。
ソーシャルブックマークを何のために使うんだ?って言われたら
- 自分の興味、知りえた情報の収集(アーカイブとしての利用)
- 多くの人の興味を知るツール
- 自分が読んだ記事に対する反応
- 人々の興味の流行(ホットエントリ)を知る
ってのかな?