作り手を大事にしない社会は衰退する


404 Blog Not Found:格差の格付け」を読んで。

「田畑競争」における努力というのは、この場合ほとんど現金化されない。大学受験のための努力、資格取得のための努力というのは、それそのものは全く金を生まない。これらの現金が果実となるのは、公務員になるなり大企業に入るなり、努力の後なのだ。

こうして「田畑」を得た彼らが、その田畑を懸命に耕すだろうか?彼らはそれを得るためにすでに努力しているのだ、しかも無給で。しかし田畑は誰かが耕さねば何も生まない。仕方なく彼らは小作農になるべく安い賃金で耕してもらう。

「田畑」の例でなくても、そのような状況は今の日本ではたくさんあるように思う。

たとえば、音楽でも漫画でもアニメでもいい、コンテンツ産業を見れば、実際に何かを作り出しているのはクリエイターなのに、そのクリエイターと作られたコンテンツを取り扱う業界の人々とを比べたら、クリエイターは薄給で苦しみ、それを取り扱う業界の人々は高級を得ているなんて構図が当たり前のように見られる。本来ならば、一番報酬を得るべき、コンテンツの作り手側が一番蔑まれているのが今の日本の現状。

我々としては、その田畑で一番収穫を上げる人に田畑を任せたいのに、それを決めるための手段に過ぎない「収穫前競争」が一番の目的になってしまっている。競争は収穫そのもので行われるべきなのに、収穫前にやった競争の結果に応じて分配がなされる....これでは努力は報われない。努力した者にとっても、社会にとっても。

末端ではなく、末端をこき使い、末端が本来得るはずの報酬を吸い取って高い報酬を得る立場の人々が増えてしまったのが今の日本のダメなところではないだろうか。そのような立場を得られた人にとっては、努力は報われているのだ。そして、そのような人々はその立場を守ることに努力する。もちろん、その行為はその人の利益を守るだけで、社会的にはなんの生産性もない。そして、そのような人々の存在は、末端で働く人々の働く意欲を削ぎ、社会は疲弊していく。

会社の中での政治に勢力を費やし、勢力争いするような人が多い会社は長い視点で見れば次第に力を失っていくのと同じ。


ネットの発展により、低コストでさまざまな情報を配信できるようになったことをきっかけに、このような搾取する側、される側が存在している状況が変わっていけるのではないかと期待している。搾取する側が増え、固定化しつつあることへの抵抗。特にコンテンツ業界に関しては、クリエイターに正しい報酬がわたる状況を作り上げられないか、そのための方法を考えていきたい。


さまざまなコンテンツを楽しむ側として、素晴らしいものを作ってくれたクリエイターにお礼を渡したいのだ。それを横に流すだけで利益をむさぼってる人たちにではなく。