さまざまな思惑がうごめくネット環境


デジタルな機器を使いこなせる人とそうでない人との間に生じる待遇や機会、貧富の差を指すデジタルディバイドなんていう言葉があるけれども、ネット上の世界をいろいろ見ていると、ネットに参加していてもそれをどこまで有意義に使いこなせているかで同じように待遇や機会、貧富の差などに繋がるネットディバイドなんてのもあるんじゃないかと思う今日この頃。


ネットの世界においては、リアルな世界にあるような多くの人々が共同生活する上で必要なルール、というものが少ない。各自が自分の思惑で行動し、そしてその責任は自分に帰す。多くの人から見られていることを意識しない発言によってブログが炎上するように。


ネットの匿名性を自分に都合の良いように解釈して、言いたい放題誹謗中傷することに快感を求めている人も多い。自分は名乗らずに一方的に相手を批判することに建設的な部分は見えず、ひたすら言う方のストレス発散にしかなっていない。もちろん言われた側のストレスはそれ以上に募る訳だが。


相手を言い負かすことに夢中になり、議論と称しながらも相手の意見・発言に耳を傾けない人も多い。世の中、誰しもが同じ意見であることなんてありえないので、別に議論が必ずしも結論をださなければならないとは思わない。でも、自分の主張を述べることにだけ夢中になってしまうのは、せっかくの自分以外の意見を聞けるチャンスを無駄にしている。


ネット上の規範となるべきネチケットもネットの世界の移り変わりに対応できずに過去のルールにこだわり続けている人もいる。


定期的に注目される無断リンク騒動もそうだ。ブログという記事単位で閲覧することが容易になり、しかも検索エンジンが発達した今では、昔のように絶対トップページから見なくてはならないという状況ではなくなった。むしろ、記事単位で訪れる人の方が圧倒的に多いであろう今、無断リンク禁止を高らかに宣言する意味はどこにあるのだろう?

おそらく、自分のサイト・ブログへのアクセスは全て把握しておきたい、勝手に訪れて挨拶もなしで帰るなんて非常識だ、というホームページ作成が流行った1997年頃からの数年であったような時代のルールを引きずっているんだと思う。たかだか数年たっただけで、その当時のルールが不適当に感じられるほどにネットの進化は早い。

このような人たちに、「今の状況はもうそういう時代とは違っていて、そういうルールを主張するのはナンセンスになりつつありますよ」と説明して、分かってもらえるであろうか? 何度かそういう記事を書こうとしたことがあるが、とうてい納得させられそうにないなぁと、途中で書けなくなってしまった記事がいくつかある。



はてなブックマークなどで、そのようなサイトを見つけてはブックマークする行為を、晒し者にしていると批判している記事もいくつか読んだ。たしかに[これはひどい]タグなどをつけてるのは晒し者にしてる感たっぷりである。建設的な部分がそこにはなにもない、という指摘があったが、建設的な方向を探しつつもなかなか踏出す方法が見当たらない。


トラックバック文化圏の話題のときもそうだったが、「どうしてトラックバックは言及した方がいいのか」「なぜ検索トラックバックは煙たがられるのか」などということに対して、きちんと背景から踏まえて考えている人もいれば、自分がそうしたいからそうするだけだ!と感情論でしか発言できない人までさまざまで、温度差というか、考え方の差というか、やはりいくつかの文化圏に分かれるのだなぁという結論になっていた。無断リンク問題も、感情で考える人と、ネットの仕組み的に合理的な方法を模索する人とで大きく分かれそうな気配を感じている。


私はネット上のさまざまな事柄、マナーに関することを決めるときには、感情よりも、仕組み的に合理的な方法を模索したい。いくら人々が存在してそれぞれが感情を持っていて、それを尊重すべきだと言っても、ネットの仕組み的に不都合なことをルール化しても破綻するだけだ。そして、自分の常識が他人の非常識であるように、人はそれぞれ多様な常識を持っており、それが全て満たされることなんて、そもそも人が集う場所ではありえない。ならば、ネットの仕組み的に合理的な方法を模索し、それにあわせていくべきなんじゃないだろうか?


ネット世界の難しいところは、その進化の早さゆえに、ついていける人とそうでない人との差がどんどんと広まっていることだ。

今の子供は生まれながらにしてネットが当たり前のように存在している世界で生活しているが、じゃあその子供たちに誰がネット世界のルールやマナーを教えるのだろう? そもそも統一した見解もないようなルールやマナーなど教えられる人がいるのだろうか?

私はネットもリアルもとどのつまりコミュニケーション手段が違うだけであり、根本的に考えなければいけないルールやマナーってのは、どちらも似たようなものじゃないかと考えているけど、リアルでの人間関係もはっきりしないうちからネットの広大な世界に入ってしまう今の子供たちがどういう風に育つのかは、非常に危惧してたりする。



なんとなくつらつらと後ろ向きな考えを書いてみたけど、そんな状況を自分の手で少しずつではあるけど変えていけるのもまたネットのいいところだと思っている。とにかく、自分の頭でしっかり考え、何かを作り上げていくための手段として、ネットを多いに活用していきたい。