リスクをとるか、自由をとるか

なぜラーメン店の損失を補填しなければならないという論理になるのだろうか?

に対する

名誉毀損で訴えられるリスクはあるのでは?

という指摘。


酷評したブロガー側のリスクとして、名誉毀損で訴えられるリスクってのはあるでしょう。


でも、「酷評を書いて経済的に損害を与えたなら、その損害を補填しなければならない」と決め付けてしまうのはどうなのか?という部分の論理に疑問を感じたのです。

酷評の書き方、内容、事実との関係、いろんなことを考慮した上で、損害を補填するに値する場合はあるでしょうが、酷評=損害補填責任まで直結してしまうのは短絡的かな、と。



ブログにおいて「酷評すべきではない」と感じるのは、取らざるを得ないリスクと表現の自由を天秤にかけてリスクの方が重いと感じるからですが、元記事(ブロガーは、表現においてリスクテイクをすべきだ - エコノミー、マーケティング、そして IT)を読んだときに、「経済的余裕がないなら酷評すべきでない」の部分から、取らざるを得ないリスクを過大に評価してるんじゃないかと感じました。

あまりリスクを重視しすぎると何もかけなくなってしまう。



でも、リスクに対する考え方の違い、それは立場の違いってのもあるのかもしれません。



経済的に余裕のある人、無い人。


世の中に対して大きな影響力を行使できる人、できない人。


ブログのような個人発信に期待している人、現実の世界に重きをおいている人。




話題の酷評をリスクととらえるか、自由ととらえるかで、今回の件についての意見は分かれるのでしょう。