どこかの誰かに向けて情報発信


想いと表現の間 - 情報発信は自己顕示欲なのか」(from 明日は明日の風が吹く)を読んで。


Web上だと、どんな形であれ何かしらの情報発信をしないと何も伝わりません。ちょっとした独り言でも、何かについての意見でも、本を読んだ感想でも、自分の主張でも、誰かが何かを情報発信しないことには、Web上には何も残りません。

何かを発言することでそこに発言が残り、それに発言者の記名がなされていれば、それはある発言者の発信した情報として残ります。


Webという今までに無かった情報発信の場ができて、時間や距離、互いの関係をすっ飛ばして、知りたい情報を見たり、話したい相手と会話したりすることができるようになりました。ここでは、自分が何者か、何を考えているのか、何をしているのか、何が好きなのか、嫌いなのか、とにかく情報発信して自分についての情報を残さないと、他人とのコミュニケーションがとれません。

結局は、自分が何に興味を持っていて、どこに立っていて、どんな景色を見ているかということを発信することによって、「私はあなたの近くに立っていますよ」という人を見つけられるということが重要なんだと思っています。自分が孤独だと感じているときに、自分の近くに誰かがいることに気づくことがどれだけ救いになるかは計り知れません。だから自分の近くにいる人の発信する情報は見つけたいし集めたい。できれば会って話し合って友達になりたい。さらに、もしかしたらこんな自分でも誰かの救いになれるかも知れない。誰かをニコニコさせられるかも知れない。だから、くだらない日常の垂れ流しだけど、つたない文章だけど考えをまとめて書く。そして誰かの書いたものにピピっと来たら何かの反応をする。

情報発信することには、自分という存在、主張を見て欲しいという自己顕示欲なところから来ているけれども、別に自分の主張だけを見て!聞いて!って訳じゃなくて、同じようなことを感じている、考えている誰か、場合によっては自分の考えに別の考えを述べてくれる誰か、分からないことを教えてくれる人、そんないろんな人たちの話を聞きたい、そんな人たちと知り合いたい、そういうコミュニケーションを求めてる部分が大きいというのに同感します。

別に自分で何かを書いてまで知り合いを探したくないって人もいるでしょうけど、ブログだったり、Twitterだったりで何かを記してる人ってのは、どこかそういう出会い?を求めて、情報発信してるって人が多いと思います。


どこかの特定の誰かに向けて情報発信してるわけではないけど、誰かが反応してくれるのを期待して何かを記す、一旦この楽しみを知ってしまったらもうやめられない。