それでもネット上の議論をやめられない


Spherical-moss.net » ネット上の議論は殺伐としているね」を読んで。

ネットの議論がこじれるのは、自分がどの立場にあるのか最初に表明しないから。全体の利益を重視するルール決定の立場か、ルール決定後の個別ケースへの適用を重視する運用者の立場か。


無断リンク禁止」の議論で考えると、「全体の利益を重視するルール決定」の立場に立ちながら、その実「自分の利益を重視するルール提案」を語ってたりする人が多いから違和感を感じるのかな。いや、ちょっと違うか。「自分の意見=全体の意見」とすることへの違和感かな。


自分の立場を明らかにするのは、議論において大事。私の場合は「全体の利益を重視するルール決定」について語っていることが多い。


つまりは、言葉を、論を形成する基礎になった背景を説明する努力をしているかということ。双方で、ある言葉や論について共通理解があるかどうか、確認する努力をしているかということ。さらに、相手の背景を理解する努力をしているかということ。このへんをさぼると、言葉は途端に通じなくなる。黙っていても相手が行間を読んでくれるとか期待するなんざ、甘えもいいところだと思う。

Spherical-moss.net » 単語と語彙」、「Spherical-moss.net » 誤解と対処〜単語編」での言葉についてのエントリが興味深い。


議論のときに使う言葉ひとつとっても、同じ言葉を使っているから同じ意味で通じているとは限らない。それに加えて、相手の背景を理解する努力までして始めて互いの考えが通じ合う。

自分の言っていることが分からない相手は低脳、とかいう形で共通理解へのすり合わせを行おうとしない人は、理解してもらえないのも仕方が無い。互いに言葉を尽くしあっても、理解しあえない場合もあるのだから。


こんな感じで必死で議論を行うとものすごく疲れる。私が、極力、議論やそれに類することをしようとしないのは、それが理由。

確かに議論をするのは疲れる。


それでも、議論しようとする原動力はなんだろう。自分が語らずにはいられない何かがそこにあるから、だろうか。