ウェブ上に何かを書くときに気をつけること


そろそろ何かを書いてもいい時期 - 北の大地から送る物欲日記」で情報発信することを勧めたことに対する反応から。

実際のところネットにはみんなに知られていない宝の山はいっぱいあると思うけど、それを埋め尽くすほどのゴミがある。発信するなら発信するなりの「心構え」が欲しいところ。

ネットにアップされる情報の量は、ネットを使用する人や情報発信する方法の増加によってどんどん増えつつあります。見ようと思ってもとうてい見切れない量の情報がアップされていて、情報を見る場合にはさまざまな手段で情報を絞り込んでみることになります。


個別なサイトやブログを気に入ってお気に入りに登録してみるところから始まって、効率よく巡回したければアンテナやRSSリーダーを使う方法があります。自分で見に行けるサイトの範囲には限界があるので、他人が発見してきた情報を見るという手段としてニュースサイトが存在していて、これによって観測範囲をぐんと広げることもできます。

また、もっとも基本的な方法としては検索があって、さまざまな検索エンジンを用いて知りたい情報について調べることもできます。


とうてい見切れないほどの情報がアップされている中から何を選んで見るかは、見る人の情報収集の手段によるので、誰かが必要とする可能性がある情報なら、気にせずどんどんアップするべき。


何が宝で何がゴミか?


ネット上に存在している情報には宝もあればゴミもあるけれど、考えなくてはいけないのは見る人によって宝もゴミも変わりうるということ。ある人にはゴミにしか思えない情報がある人には宝だったりするなんてことは山ほどあります。

例えば、あるゲームにハマっていて楽しくプレイしている人にとって、同じゲームにハマってる人のプレイ日記などは楽しさを共有できる宝な情報かもしれないが、そのゲームに興味がない、いや、そもそもゲームなんてプレイもしないなんて人にとってそれはゴミ情報にすぎません。



ネット上にアップされている情報の中で、本当にゴミと呼んでしまいたくなる情報ってのは、「他のサイトの情報を丸コピーしただけの記事」、つまり何も新たな情報がなくただ個人的な儲けのために仕掛けられた罠のような記事を思いつく。自らの儲けのために人の情報を丸パクリでアップする行為は、おそらく誰にとってもゴミ情報でしょう。それをアップしてる当人以外には。


他にもゴミに限りなく近い情報としては、

  • 自分の自己満足のため他人を貶す文章
  • 人を騙すためのウソの情報

などがあるけれど、これは私の価値観からするとゴミに思えるだけで、他の人の中にはこれらの中に宝の部分を見いだす人もいるかもしれません。


情報発信するときの心構えのひとつとして、「多くの人が見てゴミだと思える情報は発信しない」ってのがあります。私は上に挙げた様な情報をゴミだと思うので、自分がそのような情報をアップしないように気をつけています。



ゴミかどうかの判断基準として、「それを必要とする他人が想像できるか?」「自己満足のための独りよがりになっていないか?」ってのが大きくて、面白いかつまらないかはあまり気にしません。面白いかつまらないかは、人によって興味の有無で大きく異なる部分なので。


情報発信によって初めてネット上に参加できる


ネット上では情報がすべてであり、書かれていないこと、アップされていないことは存在していないことになります。つまり、ただネット上の情報を読むだけでは、ネット上に参加してることにはならないってこと。

情報を発信して何かを残すことで、初めてネット上に参加することができます。



情報発信するようになると、他人とのやりとり=コミュニケーションが発生して、ここがネットに参加する面白さの一つなのですが、逆にトラブルの種でもあります。基本的に、現実だろうがネットだろうが人を相手にする以上、コミュニケーションの基本は変わらないのですが、ネットに特有な性質(書かれた情報は消されない限り残る、非常に広がりやすい)などで気をつけないといけない部分もあります。

それらの多くは、実際に自分が参加して体験してみないと気づけない部分も多いので、簡単なところからでいいので、何かを発信していくのが重要です。



今更、電気なしの生活が想像できないように、ネットもそれなしの生活が想像できない時代はもうすぐそこまでやってきているのだから。