目に見える情報を残すという文化の移り変わり

目に見える情報を残す手段、カメラの登場


目で見た物を紙などに描くという絵という手法しか目に見える光景を残す手段が無かった時代に続いて、光を何らかの装置を使って写真や情報として残す撮影という手法が用いられるようになったのが19世紀。最初は物々しい装置を使って、長い時間をかけて撮影しなければならなかった初期の頃のカメラも技術の発展とともに進化し、より短時間で写真が撮影可能となる高感度化、気軽に持ち運びで切る様になる小型化、白黒だけじゃなくカラーも残せるようになるカラー化と手軽に、そしてより実際に見た時の光景に近いものを残せるようにとカメラは進化してきた。



更に、初心者でも簡単に綺麗な写真が撮れるような技術、例えば光量に合わせてシャッタースピードを自動で調節してくれる機能(自動露出)や狙ったところにうまくピントを合わせてくれるオートフォーカスなどが出て来て、より多くの人が写真を楽しめる時代がやってきた。一家に一台以上カメラがあるのが当たり前になり、子供の成長、旅行やイベントなどを写真として残すことができるようになった。

ここまでのカメラでは光という情報を残す媒体としてフィルムが使われていた。フィルムの一部分を瞬間的に露光させ化学反応によって残した光の情報を現像によって写真に焼き付ける。


デジタルカメラの登場


そして20世紀後半に入ってフィルムを使わずに光の情報をデジタル方式で保存するデジタルカメラが登場する。初期のデジタルカメラはそれなりな値段(数万〜数十万円)の割に残せる写真としての情報量は少なく一部のマニアしか飛びつかなかったが、その後の20年ほどで驚くべき速度で進化を遂げていく。それはアナログ方式のカメラが100年以上かけて進化してきた道のりを一気に駆け足で駆け抜けるようなものであり、その進化に伴ってデジタルカメラはアナログカメラにはない特徴をいくつも備えていく。


それまでは小さな穴(ファインダー)を通してしか見られなかった撮影対象がより大きなモニタで確認しながら撮影できるようになったこと、レンズの向きとモニタの向きを変えることができハイアングル、ローアングルでの撮影を容易にする事が可能になったこと、フィルムの代わりにメモリーカードやHDDなどに光の情報を記録するため、それらの記録媒体の容量増加に伴ってフィルム交換なしに数千枚の撮影も可能になったこと、静止画という止まった情報だけでなく動画という時間軸も含めた記録も同じ装置で行えるようになったこと、電子部品の小型化・フィルムがいらないなどの点によっていままでになかった薄型、小型化が可能となり、携帯電話のような装置にまで組み込まれるようになったこと、フィルムの現像という手間がなくなったため、撮ってすぐに確認、消去などが可能になったこと、などなど、かつてのアナログ方式のカメラでは不可能だった多くの特徴を備えたデジタルカメラが生み出され、これによって写真を撮影するという行為がより日常的なものへと変化することとなった。


写真が電波やネットに乗って飛び交う時代


中でも大きかった変化の一つが携帯電話にデジタルカメラが搭載されるようになったこと。普段から肌身離さず持ち歩く携帯電話にデジタルカメラが搭載されているということは、日常的なさまざまな瞬間で写真撮影が行われるという変化を引き起こし、さらに撮影した写真を電波に乗せて知り合いとやりとりしあう写メールの登場によって気軽に写真をやりとりする文化が生まれた。

また、デジタルカメラ時代の写真はデータという形で保存されているためそれを直接扱えるPCとも相性がよく、インターネットの普及によってデジタルカメラで撮影された多くの写真データをネット上にアップして共有するというフォトストレージ的なWebサービスも数多く生まれた。


写真という文化の広がり


発明された当初の不便で使いにくいカメラの頃は、ごくごく一部の人が限定的に利用することしかできなかったため、その利用方法も限られていただろうが、カメラが進化し、写真撮影がどんどん容易になっていくにつれさまざまな利用方法が生まれていったのだろうと想像できる。歴史・研究目的の記録、報道、芸術、そして一般市民の手にわたるようになって日常的なスナップ写真に用いられる様になり、デジタルカメラの登場、普及によってより幅広い範囲で写真が撮影されるようになった。



写真を撮るというのは面白いもので、同じ時間に同じ場所で違う二人にカメラを渡して好きに写真を撮らせたとして、二人が撮影する写真は決して同じ物にはならない。写真を撮るというのは、視線を切り取るということでもあり、ちょっとした物の見方の違いが写真に現れる。

デジタルカメラの普及、画像データを簡単にやりとり・共有できるインターネットの普及によって、我々は多くの人の見ている光景の一部を切り取った情報を写真という形で目にする事ができる。こうして家にいながらにして、東京タワーの写真が見たいと思ったら物の数秒で多くの東京タワーが映った写真を見る事ができる。



何事でもそうなのだが、何かをする方法が簡単になり大勢の人がそれを利用するようになると、その何かは確実に変化していく。写真を写すという行為は、デジタルカメラの登場による撮影手段の多様化、インターネットの登場による写真データのやりとり・共有の容易化によって、いままでとは違うステージに進み、かつては予想もできなかった利用法が生み出されて普及していくに違いない。