繰り返される話題に変化や広がりをみる

はてブで話題になった記事をときどき発掘してみるんだけど、同じことがネタを替えて繰り返し言われ続けているような印象を受けますね。

https://twitter.com/hatayasan/statuses/884240755

まあ、はてブに限らずWebのあちこちがそうだろうし、ネットだけじゃなくて雑誌の特集記事なんかも同じことが毎年似た様なローテーションで回ってたりとかするように、話題ってのは同じことが手を替え品を替えなんども繰り返されるものなんですよね。

そういってる私自身も、このブログで数千記事書いてるうちで、同じようなことを書いてる記事ってのはたぶん過去記事読んだらもりもり出てくるだろうな、と実感してます。記事を書きつつ、「あ、これ前にも書いた気がする・・・」なんてのはよく感じるからw



この「話題は繰り返す」ってことに対して、「同じことを何度も何度も繰り返すなんて意味ないし。くだらない。」という人をたまに見掛けますが(繰り返されている記事にそうコメントがついたりもする)、私は同じ話題が繰り返されるのも別に悪くないな、と思っています。


誰かにとっては何度目でも、それを初めて見る人もいる


同じことを繰り返し書いてても、それを読む人ってのは毎回同じ訳じゃありません。世の中、いろいろとタイミングがあったりする。

同じテーマをずっと追い続けている人にとっては、この内容を見るのはいったい何度目だろうと思うくらい繰り返されている内容でも、普段それを追い続けていない人からすると、今回始めてその内容を見た、なんてのがごく当たり前にあるのです。



何度も何度も同じ話題を見てて見飽きたのなら、そう気づいた時点でそれはスルーすればいいだけ。あー、またあの内容かあ、そろそろ夏だな・・・みたいな季節の風物詩的にでも捉えておけばいい。


自分が伝えたいことを繰り返す


多くの人にこれを伝えたいとか、私は強くこう思う、こうあるべきだ、みたいな主張は、一度じゃなかなか広まらないもの。それこそ、タイミングを見つつ、書く度に新しい別な人が読んでくれる可能性がある以上、繰り返し何度も同じ内容を書くってのも悪くはありません。


ただ、揚げ足取りや些細なことに突っ込む、みたいな書き方を延々と間をおかずに繰り返すといったような書き方は、たぶん逆効果でしかないでしょう。繰り返しも度が過ぎればひたすらウザいだけにしかなりません。


時が経てば状況も変わる


同じ内容を繰り返し書いていても、だんだんと時が経っていくうちに、それを取り巻く環境が変化していってだんだんと違う内容になっていくなんてこともあります。昔は○○するのが当たり前だったのに、今ではもうあまりそうしなくても良くなった、とか。

だから、同じ内容でも時に応じて、書いたときの環境に合わせながら書いて行くことには意味があります。逆に環境や状況が変わってるのに、ひたすら同じ内容を引っ張り続けるってのは単なる石頭かもしれません。



時期が変わって考えが変わったなんてこともあります。

いまでこそ、こうやってブログで日々いろんなエントリを書いていたり、mixiでマイミク限定ですが日記を公開してたりする私ですが、10年くらい前には、日記みたいな内容をweb上にアップすることの意味が全く分からない時期もありました。「日記は自分で読むための物。それをなんで人に見せるようにweb上に書けるのかが分からない!」みたいな感じで。

今では、日記と言っても自分だけのために書く形、人に見せてもいい形といろんな書き方のスタイルがあると気づけました。



同じことを繰り返し書いてるうちに、だんだんと主張が変化してく、なんてのも自分の変化や成長が感じられて面白いかもしれません。