ネットの儚さと繋がりの保ちやすさ
「webの居場所の儚さ - 遥か彼方の彼方から」を読んで。
Twitterでも、ブログでも、アウトプットによってのみその存在を表せる。よく「最近更新してませんでしたけど、ちゃんと生きてます(爆」なんてのを見たけど、そんなの勘違いで、更新してなかったらネットでは死んだもどうぜんです。
そりゃ、それなりに存在感が強ければ覚えててくれるかもしんないけど、例えば僕なんて数ヶ月も更新しなくても気づかれないし、一年もすれば存在すら忘れられます。
何だろうな、居場所は作りやすいんだけど、その維持がすごく大変で、常に居場所を作るような感覚でいないと、ふとした内にネットから消えたも同然になってしまう。
http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20091102/1257168777
「更新しなかったら、発言しなかったら、何かを情報発信しなかったらネットでは死んだも同然」ってのは、何かと移り変わりの激しいネット上においてはよく言われる話で、確かにしばらく見なくなるとあっという間に過去の人になりがちな傾向はあります。
ネット上の話題の移り変わりはそれくらい早いものだし、またネット上での存在感は常に何かを発信し続けないと簡単に色あせてしまいがちなモノ。
ただ、それは常に新しいモノを追い求め続けてる人達へのアピール、という意味合いであって、ネット上でのやりとり、もしくは実際に会ったりなどの交流をある程度行ったような、明らかに互いに見知っていて知人と言えるような間柄になってしまった場合だと、現実のみの付き合いよりもネット上での付き合い、もしくはネットと現実を交えた付き合いの方が互いの関係が長続きしがちな気がします。
現実のみの付き合いを維持するのに掛かるコスト(互いに連絡し合うなどの手間)と、ネットで存在を維持し続けるコスト(情報発信、もしくは連絡先の維持)だと、圧倒的に後者のが低い。
だから、長年ネットを使ってる感じからすると、儚さってよりも繋がりの維持しやすさ、を感じます。
ネット上って現実とはかなり違う場所だったりしますが、見方によっては現実における近所付き合い、学校、会社、親戚付き合いなどいろんな集まりみたいなものと同様なコミュニティの在処が広がっただけ、とも取れます。時間・距離・立場なんかを飛び越えられたりとちょっと便利ですが、情報の内容、やりとりにはちょっと慣れや技能が必要だったり、匿名性を盾に暴れてるような人達から身を守るような知識が必要だったり。
ネットの可能性を最大限利用すれば、現実だけでは実現不可能なことを成し遂げられますが、まあ、言うは易し行うは難し、ダークフォースに染まらずに大きな成功を掴むのは現実同様それなりに大変です。ダークフォースってのは、スパム行為でアクセス集めたりとか、派手な言動、極論、煽りなんかで一気に注目を浴びたりとか、そんな方向性。
個人でも企業でもそういう方向で急成長して、そしてはじけていくサイトはそれこそ砂浜の砂の数ほど・・・・・・そんなに多くはないかw
ネットの力には、元からあるアピール力を拡大する部分があるので、元から何かで有名な人なんかは最初から比較になりません。普通の人が2年半近くかけて得たtwitterのフォロワー数を、有名人は一晩で飛び越えて行ったりとか。まあ、そんなもんです。
と、久々にブログ記事書いたら、なんか話がどんどん脱線していきそうなので話を戻しますが、ブログにせよ他のネットサービスにせよ、瞬間的な大勢の観客よりは、人の記憶に残って更新止まっても覚えててもらえるような読者やフォロワーと一人でも多く巡り会えたらな、と思います。
それ以上のリターン(知名度とか?)を望むなら、やはり発信し続けるのが一番ですね。たくさん発信すればするほど、ネット上での存在感はましていくし、大勢と巡り会えるチャンスも増えて行くから。