正しい方向を目指すことに囚われるのが正しいとは限らない


正しすぎて辛い」を読んで。


このエントリで言われてる正しいって何に対しての正しさなんだろう。社会人としてあり方?仕事の仕方?

夫はパーフェクトな人間ではない。本人もそう思っていないだろう。だからこそ、こんな僕でもできている最低レベルのことは、誰にでもできるはず、と無邪気に信じているのが辛い。

正しすぎて辛い

ここを読んでて、夫の自己評価が低いか他者への要求レベルが高い、という印象を感じた。



時々、部下の愚痴を言うように「こんな僕でもできている最低レベルのこと」をできない人がいることを知っていながら、

できない、じゃなくて、しない、でしょ。がんばればできるよ。やらないのは手抜きだよ。

正しすぎて辛い

ってのは、裏を返せば、誰でもやろうと思えばそれをすぐに出来ると思っている、ってこと。



仕事をこなす能力、だと漠然としてるけど、これが足の速さという能力だったらどうだろう。頑張れば能力を伸ばすのは可能だろうけど、人それぞれ持って生まれた素質は違うだろうし、そもそも能力の絶対値は人によってさまざま。


能力を伸ばすアドバイスならまだしも、その人の能力を超えた状態に対して「がんばればできる、やらないのは手抜き」というのは、当人を燃え尽きさせてしまうだけ。



このエントリの場合でも、送るべきアドバイスは「自分のノルマを正しくこなしなさい」ではなく、「繁忙期に君の仕事がパンクして業務が滞っているようだから、職場の仕事分担を改善できないか上司に相談してみたら?」ではないだろうか。それが職場全体の視点で見た時の改善点でもあると思うのだが。



頑張れば、正しいと思えることをすれば、すべてがうまくいく、なんてことはない。会社での仕事がそんなにうまく調整されてることなんてそうそう無いだろうし、一人に過度の負担がかかるような体制は長続きはしない。それは会社の仕事の回し方として正しくない。

社会人として正しいあり方を目指したい、正しい仕事の進め方を身につけたい、というのは理想としては分かるけど、そこに過度に囚われて、自分の能力を超えた状態を常に強いられてると、空気を入れすぎたタイヤみたいにいつかは破裂してしまう。



辛いってのは、心が出してるノーサイン。こじらせる前に、この状況は自分には辛すぎる、と打ち明けて正しさの呪縛から逃れる術を考えてみる方が良さそう。