それを使っている自分という「イメージ」と買い物

「イメージ」できないと買えない人 - Shikalog」を読んで。

「好き」だから買う人、「言い訳」しないと買えない人に続いて、「イメージ」できないと買えない人、来ました。ハイ。「イメージ」と買い物は切っても切れない関係。


ちょうど最近、自分で意識したところなのだけれど、私が買い物をするときに最も躊躇・懊悩するのは「好きなモノ」なのに「自分がそれを使っているイメージができない」ときだ。

「イメージ」できないと買えない人 - Shikalog

「自分がそれを使っているイメージができない」ってのは、自分が考える自分のイメージとその「好きなモノ」との間にギャップがあるってことかな。ああ、あれ、とても好きなんだけど、まだ自分には早いよなあ、と言うような。



「好きなモノ」というか、こだわりの「モノ」というのは、それを使ってる人のイメージまで含まれてる場合があるってのは、モノのジャンルによるけど、分かる話。その「モノ」と使ってる人のイメージにギャップがあると、傍から見て違和感を感じることもある。

「好きなモノ」に対する想いが強くて、それを使ってる一般的なイメージをオーバーライドしてしまうくらいな人は傍から見て違和感感じられるモノであろうとも気にせずそれを購入してしまう。というか、その人の中ではそれを使ってる自分というイメージが成立してるに違いない。



こういう使ってる人のイメージに関わるモノって、宝飾品、衣服、時計、靴、文房具などなど、ステータスを感じさせるようなジャンルのモノ。それを使ってる人というイメージには、身なり、年齢、風格なんかが関わる。大学に居た頃、これらのステータスを感じさせるモノに対するこだわりが強い人ってのがそれなりに居た。それは育ってきた環境に大きく左右されているように感じた。いわゆるお金持ちな家で育った人はステータスにこだわるというソレ。



「イメージ」と買う買わないの話で言うと、歳をとってくると「イメージ」に縛られて買えないってことは有るように思う。◯◯歳になってコレはないな、というようなイメージ。自分の中にある歳相応のイメージから外れるものは買いにくくなるという。財布を買い換えようと思いつつ、自分の頭の中のイメージに合うモノ=自分の思う歳相応のモノが見つけられなくて買えなくてもう数年になる。



そして、ここでいう歳相応などという「イメージ」ってのは、育ってきた環境や世代で全然違うものなので、違う環境や世代の人が思う「イメージ」とのギャップが今の世の中で言われる「若者が物を買わなくなった」に繋がってるんだろうなあ、と思う。