webを紡いでいく日々
「F's Garage @fshin2000 :残念なWeb論の骨子」を読んで。
・人気のネットサービスができるでしょ?
F's Garage @fshin2000 :残念なWeb論の骨子
・エンジニアが気軽にSQLで集計できるレベル(大概が一定期間内の数の合計)で気軽にランキングにして序列を作ってしまうでしょ? (=不適切な集合知化)
・そういうランキング上位に乗るために短期的なbuzz狙いのコンテンツが増えるでしょ?タチが悪いのは、ネタの内容がどんどん消費されるから、エスカレートしていくでしょ?
・みなさんの可処分時間が、そういうネタに、どんどん持っていかれる。
こういう流れがどんどんと加速していくってのは、世の中には「売れてるものが正義!」「PV数が高い方が正義!」的に考える人が多くて、引用で挙げられているようなどんどんとBuzz狙いなネタがエスカレートして止まらなくなっていくって構図があるってことですよね。テレビ番組でも、webのコンテンツでもその辺はいっしょ。
「ランキングで高い順位だから」「みんなが薦めてるから」というように、受動的に流れてくるコンテンツを消費してく人が多い状態だと、こういう流れになってしまうのはどうにも止まらない止められない。そして似たようなネタばかりになったり、インパクト重視、演出過剰、0から10までいたれりつくせり解説付き、より皆が見たいものへとコンテンツが流れていくことに。
基本、受動的に見ることしか出来ないテレビ番組なんかがそういう方向に進化(退化?)してっちゃったのは、もうどうにも止められない流れなのかな、とも感じるのですが、受動的にただ流れてくる物を見るだけじゃなくて、能動的に自分で見たいコンテンツを探しに行くこともできるwebだと、そういう流れじゃない方向での進化の道ってのもあるんじゃないかと思うんです。
テレビの視聴率、webにおけるPV数、これらの数字はそれを見た人がどう評価したのかは関係なく、単にそれを見た人の数が分かるだけ。テレビならたまたまかかってただけかもしれないし、webだとタイトルに釣られてクリックしてみたものの、なんだコレ?とすぐに閉じてしまったのかもしれない。そんな見てる人の評価とはとても言いがたい数値が独り歩きしていつの間にか評価基準になってしまっているという。
だから、webにおけるソーシャルブックマークみたいに、中身を読んだ後で評価することができる仕組みってのは、視聴率やPV数とは違う方向性で、世の中のコンテンツの拡散を担うことができる可能性を持ってるかもしれない、と考えます。もちろん、単に数字で競ってランキング作って、なんて流れだと視聴率やPV数と対して変わらない結果に流れて行っちゃう可能性の方が大きくて、そういう方向じゃないコンテンツ拡散の方法論って辺りがキモです。
例えば、ユーザーがソーシャルブックマークを使うことで自分の好みという評価情報を残し、そこから似たような評価情報を残している他のユーザーはこういう記事を評価してますというレコメンデーション。ユーザーが評価をつけるという能動的な行動を起こすことで、システムが自分が評価しそうな記事を集めてくるという流れ。
ブックマーク数じゃなくある程度の数のブクマが付くまでの速度で価値があると判断されそうな記事をピックアップしたり。これはランキングっていう全体指標ではなく、ブックマーカー全体が見ているあらゆるweb上のコンテンツを篩にかけて、何が残るのかっていう選択的な評価。
多くのブックマークを残す人がいれば、それがどういう方向性の記事の集合だったとしても、ある一定の法則・嗜好性で集められた記事の集合を可視化しているし、逆にそういう人は次にも同じような方向性の記事をブックマークする可能性が高いってことで、特定の分野・方向性・好みに特化した鑑定人?ああ、ちょっと前に盛んに言われてたキュレーター的な役割をこなす人ってことで、案内人的に紹介する、とか。
どれも、単に一意な基準、大雑把な全体ランキングで方向づけられてしまう流れとは違う形でコンテンツとの出会いの機会を作り出してくれます。
こういう流れが今のPV至上主義的な流れを変える、なんてことはないんでしょうけど、それとは違った形でコンテンツと触れ合うことができる場所が存在し、続いていくってのはwebだからこそできることなのではないかと。
そんなことを思いながら、日々コツコツとweb上に何らかのコンテンツを残し、ペタペタとwebの世界を広げ、ソーシャルブックマークを使い、コンテンツへの導線を紡いでいく毎日です。
たまに、自分で掘った穴に遭遇するモグラよろしく過去の自分が残したコンテンツに出会うこともありますけど、改めて過去の自分が書いた物を読むと「へー、こういうこと思ってたんだ」「なかなか良い事言ってるじゃん!って自分だ!!」「ああ、昔はそう思ってたのかー、今とは違って」とか、いろいろと考えることがあって、それらはweb上で他者のコンテンツと交錯しあうことで導かれてるんだなあ、とか考えるとなかなか感慨深いものがあります。