投げ銭につきまとう浅ましさ
投げ銭関連記事見てたら、投げ銭とそれを浅ましいと思うことについて興味深い記事を見つけました。
しかし、儲かることがわかってくると、adsenseで儲けるためだけのサイトを作る人や、やたらめったらadsenseをクリックさせようとするつくりのサイトが出てくるわけです。
そうすると、一部のユーザーはこう考えるわけです。
「adsenseを過剰につけるサイトがうざい」
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「adsenseをつけているサイトはうざい」
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「adsenseはけしからん」
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「adsenseをつけているやつは金の亡者」このように、adsenseをつけている一般ユーザーすべてが悪者のように扱われてしまう。そして、さらに過剰なユーザーは「インターネットは情報を無償で提供することこそが良いことであり、それで対価をもらうのはよくない」とまで言い出す始末です。
こういう考え、ネットにはまっている人、知識がある人ほど持ってる場合が多いように思えます。
いくら無償で提供するのがいい、と言っても、現実には情報を提供するということは、提供する人がなんらかの作業を行って提供してくれているわけで。投げ銭を行って、情報の提供者に対価を渡すことで情報提供者のモチベーションが上がってまたさらにいい情報を提供してもらえるかもしれない、と考えるのもよくないことなんでしょうか?
「インターネットは情報を無償で提供することこそが良いことであり、それで対価をもらうのはよくない」という考えは、私には人の善意を食いものにしてるように見えるんです。
もちろん、オープンソースのプロジェクトのように、無償で情報を提供しあうことで発展していくものがあるというのは素晴らしいことだし、そのことはインターネットのいい一面だと思います。でも、「対価をもらうのはよくない」というのを自分では何も提供していない人が言ってしまうのは傲慢すぎるんじゃないかと。
自ら情報を提供することもなく「インターネットは情報を無償で提供することこそが良いことであり、それで対価をもらうのはよくない」と言い切ってしまうのは、adsenseで儲けるためだけのサイトを作る人とたいして変わらないんじゃないでしょうか?
っと、そこまで言うといいすぎか。
さきほどの記事から
投げ銭乞食のような人たちは増えるかもしれませんが、それ以上に、ネット上での情報の質や量があがるという意味で、投げ銭制度の普及は意義を持っていると思います。
「ネット上での情報の質や量が上がる」、この部分が大事というのに同感です。
今後、RSSリーダーのように、自分で気に入ったサイトを登録してそれを見に行くようなしくみが普及することで、読む側がよい情報を提供してくれる人を選択でき、「adsenseで儲けるためだけのサイト」のような所は自然と淘汰されていくのではないかと思います。
そして、RSSリーダーで自分が購読しているサイトというのは、自分が良いと認めたサイト、ということで、RSSリーダーから投げ銭をするようなしくみも投げ銭の一種として有効かもしれません。そういう方法があったら使うのに、という人も投げ銭関連の記事を見ていて結構みかけました。
まずはてなRSSに有料コースを設けます。月千円とか。有料コースを選んだ人は自分のRSSリーダーに登録してあるブログの中で、ここにはお金を払いたいなあというところにマーキングをします。そしてマーキングされたブログの持ち主のところに月千円をマーキングされたBlogの数で割った金額が月末に払い込まれる。こういう仕組みです。音楽の定額制配信みたいなものですね。
あと投げ銭を投げる方も、いちいちnポイント投げ銭するとか決めるのではなく、「今月は500ポイント投げ銭する」とか設定しておいて、それぞれの投げ銭を行うタイミングでは「★〜★★★」程度の評価として簡単に投げられるようにした方が楽。で、月末にその月評価したコンテンツに対して、設定した500ポイントを(評価の重み付きで)配分したりとか。
こんな感じの。
配分の方法、設定したポイントを分割方式にしたときに1ポイントを割っちゃたらどうするのか? システム側で小数点以下までポイントを記憶しておいて、実際に送信されるポイントは一定期間でたまったポイントを整数化したモノとする、とか。
はてなRSS経由投げ銭(まだ未実装)はサイト作者に対する投げ銭。
やっぱ両方欲しいですね。
ってわけで、はてなアイデアに登録してみました。
idea:5633 はてなアイデア
残りはてなアイデアポイントが5ポイントだったので、登録しようとしたら、「登録には10ポイント以上必要です」と言われて、仕方なく過去の登録塩漬けアイデアをキャンセルしてきました。ああ、破綻寸前な私のはてなアイデアポイント(笑)