現実世界とネット世界における、ふたつの匿名性。


パソ通SNSときて、次はネットにおける実名はどうなのかという話へ。やはり長い間ネットに触れた生活を送っていると、考えることも同じような点が多いんですかね(笑)

現実世界とのしがらみをネットに持ち込むこと


ネット上では、ネット上で通じるハンドルを名乗って現実世界とネットとで独立した形でやっていくか、現実世界の名前を持ち込む、もしくはネット上のハンドル名と現実世界の名前を完全にリンクさせてやっていくかという2パターンがあります。


現実世界の名前をそのままネット上で使うのは、現実世界の道具・手段としてネットを使うためかな。

実名を使って何かを主張することで、交友関係を広めたり、自分の意見を幅広くアピールしたり、それがよりダイレクトに現実世界にフィードバックしてくるのが実名を使ってネットに参加している状態なのではないでしょうか。


ただ、誰でも現実世界の名前で仕事などの内容をばりばり書くようなブログなどを作れるか?と言ったら、なかなかそういう環境にある人は少ないんじゃないかと思う。仕事内容などは、公開してはまずいような内容も多々あるだろうし、また書いたことが全て自分へと帰ってくるネットでは、仕事以外の内容でも下手なことを発言すると、それが現実世界へと大きな影響を及ぼしてしまうかもしれない。

この辺はブログで発言した内容で仕事を解雇されてしまった、などという話も話題になったりするくらいなので、すでに現実としてそういうことが起こっているのが分かります。

さて、SNSのみならず、実名をネットで初めから出すとしたら、完全に「☆YAS!☆」というハンドルとは関係無いという設定でやるだろうという事だけは決めている。本名の×××と☆YAS!☆が一致しては、面倒くさい事になるので(苦笑)。

私も、もし実名でネットをするとしたら、敢えて今のネット上のハンドルとリンクさせることはしないかな。私の場合は、別にこの「へじほぐ」というハンドルと実名とが同じ人だよ、と知られるのは別にいいんだけど、敢えてそうしなきゃいけない必要性が感じられないといったところでしょうか。



何かを書くということに関して制約が大きいというのが現実世界の名前をネットに持ち込むときの障害になって、なかなか実名でネットに参加するというのが広まらないんじゃないかと言うのは結構多いような気がします。

逆に、制約が少なく、現実世界の名前をネットに持ち込むことで大きなメリットが期待できるような人々はどんどんネットに実名で参入しています。現実世界で著名な人だったり、ホリエモンなどに代表されていた社長ブログなど。


ネットで発言することのメリットと現実とネットの両方が一致することのデメリットを天秤にかけて、メリットの方が上回りそうなら、どんどん実名でネットに参加するのも面白そうかもしれません。


ネット世界は何でもありの自由社会?


じゃあ、ネット世界に現実の実名とは関係のないハンドル名を名乗り参加することは、、現実世界のしがらみから解放されて自由に何でもできるような仮想社会に参加するということなのか?というと、それはまた違うような気がしています。


数年前に2chという匿名掲示板ができて、そこを見てネットに入ってきた人たちの一部は「匿名で何でも自由に発言できるのがネットなんだ!」と思い込み、すでに存在していた数多のネット上のコミュニティに対して、前述のような2chでのローカルルールを持ち込んで、既存のネットユーザーから大きな反発を食らうという時期がありました。


ネット上で実名とは関係のないハンドル名を名乗って活動する、ということは現実世界とのしがらみがない状態で自由に自分の意見を発言したり、現実世界では距離、立場、年齢などの違いで触れ合えない人々とコミュニケーションをとることが出来る、という現実世界では実現できないことを可能とした世界で、ここでの匿名性というのは、現実世界とネット世界との間で、しがらみを感じなくて良い、といった部分に作用しています。

現実世界とネット世界との間では匿名であるけれども、ネット世界の中ではハンドル名を名乗ることで匿名ではなく、そのハンドル名という個人が存在してることになります。ネット世界での行動は、全てネットでのハンドルにかかってくるわけです。



一方、「匿名で何でも自由に発言できるのがネットなんだ!」という匿名掲示板から発生してきた空気というのは、匿名性によって自分は保護されている状態にいることで、相手のことなど何も考えずに好き勝手振舞っていいんだ、という匿名性を自分の欲望実現への盾としている状態なんではないかと。

ネットでは、どうしてもコンピューターのモニタ上に映った情報で取るコミュニケーションが中心になることから、向こう側にも自分と同じ人間がいるんだという意識が希薄になってしまいがちなのかもしれません。



そういう意味で、ネット上での匿名、実名などの是非が議論されているのを見て思うのは、必ずしも現実世界とネット世界の名前をリンクさせなければならない、といったことはなく、しかし、ネット上ではきちんと名前を持ち、それに対して責任は持たなくてはならない状態が好ましいんじゃないかと。

匿名、というときにこの二つの状態がごっちゃになっていることが多いのが、誤解を招くもとなのかもしれません。


広がる世界と縮まる世界。


パソ通から初めて、インターネットへと続いていくネット世界へと参加していて、常に思っていた「ネットに参加することで、現実では知り合うことの無い人々との出会い」という自分の世界の広がり、これはいままでさんざん書いていますから、いまさら何度も繰り返すことでもないのですが、ネットを現実世界の道具・手段として使うことによって「自分の知人の間の距離をより近くさせてくれる」という縮まる世界という効果もあって、近いものはより密な関係に、そして関係ができるかもしれない可能性はより遠くまで広がる、というのを考えると、ロングテールなどのネットならではな状況ってのは、まさにそういうことを示しているのかなぁと、はたと思い当たったりします。

その分、関係が薄かったりするんじゃないかと思ったり。煩わしい事も含めて色々な糸が太く繋がっているような関係ってある筈で……それがネット「だけ」では構築・維持出来ないとも思うんですな。その分、意外とあっさり距離によって遠ざかったりする訳だけど。

そうですね。いろんな人と人の間の関係はネット「だけ」では構築・維持できない、というのはその通りですね。現実、ネットの両方がお互いの足りないとトコロを補い合う状況が理想的なんだと思います。

現実の知り合いとは距離が離れてもネットを通じて関係を保つ、ネットでの知り合いも親しくなれば現実に出会い、現実の知り合いになることでより関係を親密にする、そういうことなんだと。

ネットは便利だし、楽しいけれども、そこだけで生きていくのは違うんじゃないかな。若い頃からネットがあたり前に存在していると、ついネットにのめりこみすぎてしまうというのは、これから考えなければいけない大きな問題だと思います。



このネットを介した自分の世界の広がりと縮まり、なかなか言葉で説明するのは難しいけど、知らない人にも知ってもらいたい、特に自分の身近な人なら!って思いますね。