トラックバックにおける関連と言及の違い。


違う文化圏同士で意見を出し合うと、どうにも感情論、揚げ足取りになってしまいがちなトラックバック問題について、いろいろと考えてみる。お互いの考え方があるから、と考えることをやめてしまう思考停止状態にはなりたくないので。


もともと、トラックバックは厳密に決められたしくみとして成立したわけではなく、ブログ普及に大きな役割を果たしたブログツールのMovableTypeの一機能として存在したところからスタートしたものだ、というのを読んだ覚えがあります。

そこからスタートして、いつのまにかブログといえばログを残すスタイルで、しかも各記事にコメント・トラックバックを付けられるというのが特徴といわれるようになりました。ここら辺からトラックバックが、ネット上のさまざまな文化圏において、さまざまな使い方をされるようになったんだと思います。


関連と言及の違い


ごっちゃになって分かりにくいのが、関連トラックバックと、言及トラックバックの違い。自分もたまに関連と言及という単語をごっちゃにして使ってしまっているときがあるので、気をつけないといけないと思ってるのですが、分かりやすく説明すると以下のようなものだと。



あるブロガーが「カレーの作り方で玉ねぎはよく炒めた方が良い」という記事を書いたとします。

A.この記事に対して、「今日は夕食にカレーを食べた。」という記事から、同じカレーという話題を扱っているからという理由でトラックバックするのが関連トラックバック

B.「玉ねぎを炒めすぎると甘くなるので、余り炒めないほうが美味しいと思う」という記事を書いて、「玉ねぎをよく炒めた方が良い」というのを引用して返すのが言及トラックバック


Aの関連トラックバックは、同じカレーという話題を扱ってはいますが接点はそこだけで、いわば「カレー」というキーワードだけで繋がった状態。

Bの言及トラックバックは、トラックバックを送った記事が元記事に言及しているので、カレーというキーワードだけでなく話の流れも繋がっていて、より強い関係状態にあります。


確かに文化の違いもあるのでしょうが、私が不思議に思うのは同じ話題に関連しているという薄い関係状態でトラックバックを送りたがるのか?ということ。薄い関係でもいいからとにかく繋がっていたい、というところが理由なんでしょうか。

薄くてもいいから繋がっていたい人たち


このような関連トラックバックという行動は、MIXIにおいて、自分の知人をマイミクシィに加えるだけでは物足りず、とにかくどんな繋がりでもいいから、マイミクシィを増やしたい!というのとなんか似ているような気がします。

繋がっていないと落ち着かない症候群とでも言うのでしょうか。

同じコミュニティにいるから、という理由でマイミクシィに登録して!とお願いするのと、関連トラックバックを送るのはなんか似たような心理が働いていそうな気がします。

関連トラックバックが世界中のブログを埋め尽くす日


まぁ、あり得ないとは思いますが、もし全ての人がこの考え方になって、関連トラックバックを飛ばしまくったら、ブログ上はどんな形になっているんでしょうか。

ある記事にたいして出てくるキーワードに関する他のブログ記事が、それはもう数え切れないくらいトラックバック欄にひしめいていて、ブログ記事を書くたびに文章中のキーワードに関するトラックバックピングがあらゆるブログ記事に乱れ飛び記事が登録されるまでに数分かかるような・・・・・・あぁ、怖いから想像はここでやめ(笑)


この辺は
むだづかいにっき♂:関連仲間文化圏が多数派になると、ブログは死滅する
でも詳しく説明されています。なぜ関連仲間文化圏の人は、自分達で自分達の首を絞めていることに気づかないのかが分かりません。



って、ここまで書いて、こういうスタイルどこかで見かけたような・・・って、はてなダイアリーがまさにそれを「いい形」で実現してることに気づきました。

さすがにそんなトラックバックが乱れ飛ぶ形はありえないので、キーワードという形で、そのキーワードが言及された日記一覧を見ることができます。大元のトラックバックセンターの考えにもどったような感じです。

お互いにひたすらトラックバックを送りあわなくても、キーワードという形で関連した記事が読めるはてなダイアリーのスタイルは、ある種彼らの目指す理想世界を具現化したものなのかもしれません。


でも、これだと薄い繋がりでいいからブログ同士が繋がっていたいという欲求は満たされないんだろうなぁ。