神ゲーは語り継がれればいい


まるで神が光臨して、我々に与えたもうたかのような素晴らしい出来のゲームを神ゲーと呼んだりします。

惜しむらくは、映画や音楽だと基本的にDVDにCDのような、誰でも購入して聞くことのできるメディアとして供給されますが、ゲームの場合、そのゲームをプレイするにはそのゲームが対応しているハードを持っていないといけないという縛りがあること。

コンシューマゲームにおける最大の悲劇は、No.1プラットフォームになれなかったハードにも、「神ゲー」が降臨してしまうことだと思う。神ゲーは常にNo.1ハードで発売されるべきで、最大多数の共通体験として長く語り継がれていくべきだと俺は考えている。

私は、いろんなハードに「神ゲー」が光臨してしまう悲劇は、事実として受け止めるしかないよなぁと思っています。

神ゲー」が長く語り継がれていくべきだとは思いますが、それが最大多数の共通体験であるべきとは思えません。ゲームも所詮嗜好品であるのだから、それをやりたい人が買えばいい。


いろんなゲームハードで「神ゲー」が出現するという現象は、それぞれのハードがトップシェア目指して切磋琢磨する状況があるからこそ生まれる、というのもあるんじゃないかと。現状のトップシェアのPS2では、手堅く売れる続編物ばかり発売されるようになって勢いがなくなってしまったけれども、XBOX360やこれから発売になるレボリューション、PS3ではその状況を鑑みて、いろいろと新機軸なソフトが出てくるんではないかと期待しています。


必要なのは、「神ゲー」と出会ったときにそれを我々が語り継ぐという行為そのものだと。面白い物は面白い、つまらない物はつまらない、と純粋に語り合うことでゲームという文化を支えていけたらな、と思います。