我々が聴きたい音楽を自由に聴ける日は何時来るのだろう?


メディアリテラシーを考える - 『「CD売上回復!」というストーリーを作りたいレコード会社たち』は悪質な印象操作だ」を読んで感じたこと。

印象操作とかじゃなくて、中の主張に対する話。

しかし、コンテンツホルダーが自らの著作物に鍵をかける権利は誰も止めることはできない。レコード会社が自分たちの財産を守るために鍵をかける行為は正当なものである。それを「消費者を犯罪者扱いする」という概念につなげるのは津田氏の意図的なミスリードではないか。

確かにコンテンツホルダーが自らの著作物に鍵をかける権利はある。ただ、「消費者を犯罪者扱いする」という概念は、別に津田氏が主張されるまでもなく消費者側が感じている印象である。

我々が自宅に置かれている財産を守るため外出時に鍵をかけるのは、外にいる他人全員を「犯罪者」扱いしているからではない。そうした他人の中に「不届き者」がおり、彼らが自分の財産権を侵害することに対してあらかじめ保護措置を講じているだけに過ぎないのだ。

そう、それは音楽にたいする権利を所有している側の自分たちの財産(音楽)に対する論理。

一方の私たち消費者は、自分でお金を出して購入したはずの音楽、まぁ実際に売っているのは音楽ではなくてCDという入れ物なのだが、に入っていて私たちが聴く権利を有するものなはずなのに、不当に低音質なものに置き換えられたり、再生できなかったり、更には再生装置にまで悪影響を及ぼしたりするような商品をつくり、ましてや再生できなくても返品には応じませんというありえない対応をされたのに不快感を示しているだけに過ぎないのだ。

PCで音楽を聴くという行為は犯罪なのか。お金と引き換えに得たはずのCDというメディアに入っている音楽を聴く我々の権利はないがしろにされてもかまわないというのか。

もちろん、商品として販売しているものに鍵をかける行為と、自宅に鍵をかける行為は同一ではない。まっとうに対価を払って購入した消費者が自由にコンテンツを楽しめなかったり、品質に不安がある状態で再生しなければならないということは、音楽CDの商品性を著しく下げ、消費者に不満をもたらした。しかし、「鍵をかける行為=消費者を犯罪者扱いすること」ではないのだ。

我々消費者は、
「まっとうに対価を払って購入した消費者が自由にコンテンツを楽しめなかったり、品質に不安がある状態で再生しなければならない」ような商品を作る理由を、「我々が自分の財産権を侵害することに対してあらかじめ保護措置を講じているだけ」と言いきり、そのためにはどんなくずな商品を売ってもかまわないとする姿勢にげんなりしているのである。その姿勢から見え隠れしているのが「鍵をかける行為=消費者を犯罪者扱いすること」という考え方なんだと思う。

レコード会社がCCCDをリリースしたことに反省を求めるのもおかしな話だ。彼らは別に慈善事業をやっているわけではない。商品性の低いCCCDをリリースしたことで消費者から不興を買い、それが売り上げ減に結びついたとしても、それは彼らが自己責任で解決すべき問題だからである。彼らはあくまでビジネスとして音楽をお金に換えているわけであり、それが消費者にとって魅力的でないのなら単純に消費者は買わなければいいのだ。

レコード会社は何から収益を上げているのだろう?

それは自社が有する音楽という財産を、CDという入れ物に入れて、それを売ることで収益を上げているのではないのか。


では、消費者は何を求めているのだろう?

それはもちろん自らが聴きたいと思う音楽であり、CDなんて入れ物はどうでもいいのである。レコード会社がCCCDという酷い商品を出したがために我々は聴きたい音楽を聴けずに我慢するしかなかったのだ。

自分たちのビジネスの素(音楽)を求めている顧客に対して、欲しい人に欲しいものを届けるしくみを作るのが、それに携わって収益を上げている会社のなすべきことなのではないんだろうか?

音楽という嗜好品は、それぞれの作品が唯一無二で他の作品では代わりにならないものなのだ。魅力的でないなら買わなければよい、何か他のものを買えばよい、という訳にはいかないものなのだ。

だが、iPodの利用シーンの多くはiTMSからダウンロードされた曲を入れることより、音楽CDをリッピングしてiPod著作権料の支払われない「コピー」をすることである。しかもMDと違い、iPodは記録できる時間が非常に長い。その分コピーによる損失も大きいと考えるのが自然だ。

レコード会社はどこまで我々消費者からお金を吸い取りたいのだろう?

自らで購入した音楽CDをリッピングしてiPodに入れるときになぜ著作権料が発生するのだろう?別に誰かに売ったりしているわけではなく、自分で購入した音楽を他の装置で聴くだけなのに、お金を払わなければならないのか。

CDを買うというのが、CDに入っている音楽をそのままの形でだけ聴く権利を買う、ということなのだったら、直接iPodなどの音楽再生装置で使える形の音楽販売をなぜもっと積極的に行おうとしないのか。もし、積極的に音楽配信に力を入れると、CDが売れなくなると考えているからではないのか。

なぜそこで、CDという販売形式が時代にそぐわないものになってきていると認識して、他の販売方式できちんと収益が上がる形を模索しようとしないのか。CD販売に固執する余りに、消費者の音楽への興味を失わせてしまう自体になりつつあるのに気づいていないのか。

もちろんそのような努力をしていないのではないのだろうが、消費者側にはCDに固執して新しい形を探る努力を放棄しているように見えてならない。

音楽配信だって、もっと真剣に取り組めばより早い展開になっていたはずだ。iTMSという黒船がやってくるまで、日本の音楽業界は音楽配信に対する積極的な取り組みを、いや、消費者との間で現実的にバランスの取れた販売形式を模索する取り組みを示せなかったではないか。

iTMSの販売条件に右ならえで揃えてきた日本の音楽業界だが、その条件で音楽配信が広がってきていることにもっと注目すべきなのではないのか。より多くの消費者が、過去の大量な楽曲から、新しい音楽までを求めて、音楽配信に期待しているのを感じないのだろうか。



記事が全般的に問いかけ調になってしまいましたが、引用元のkeithmentholさんへの意見というよりかは、音楽業界に向けた内容になっています。その辺、ミスリードのありませぬよう。