非対称な現実社会とネット世界の関係


ネットに参加して、ハンドル名を名乗ってサイトを開いたり書き込みしたりするってことは、現実世界の自分(本名)とは違うもう一人の自分を別世界に持っているってことになるわけですが。

ここにいる私と、現実の私は、ネットを経由して知り合った人からであれば構わないけれど、現実からネットへのアプローチは避けたい。それは書いている内容もあるし、現実で作ってきた環境とネットで作ってきた環境が違うから。ネットの方が気楽な環境なのかもなぁ、私には。

これは、ネットに参加している人の多くが考えるであろうことで、私もネット→現実は全然気にしないのに対して、現実→ネットはいろいろ気になることがあったりします。人によってはネットで活動してることは伝えたくないとも思います。


なんでそう思うんだろう?と考えてみたら、

  1. ネット・現実での知り合いとの関係(親密さ)の差
  2. ネットに対する理解度の違い
  3. 違う世界での自分を同一化したくない

辺りが原因なのかなぁと思い当たりました。


ネットでの知り合いというのは自分の興味、考え、所属している場などを元に積極的に自分から構築した関係(能動的に作った関係)なのに対して、現実社会での知り合いというのはまずお互いの立場が先にある関係(受動的)だからってのが関係の差。

ネットだと、掲示板やブログなどでやりとりして知り合いになったり、ネットゲームでいっしょにプレイすることを重ねて知り合いになったりと、何らかの行動を行った結果にお互い打ち解けて知り合いになりますよね。要はネットという場で活動してて、気があった人と出会って知り合いになるという能動的な関係です。

対して、現実だと学校なら同じクラス、同級生、先生など、会社でも同期、上司、部下などの関係が先にあって、そこからいろいろな関係を構築していく関係、つまり先に関係ありきな受動的な関係な訳です。(もちろんそこから能動的に親しくなるなんてのもありますが、それはそれ)


能動的に自分から作った関係の方が受動的な関係よりもより親密な関係になりやすく、親しい間柄の人に自分のことを話すのは抵抗なくても、それほど親しくは無い人に、自分の活動を詳しく話すのはやっぱり抵抗あるだろうってのが関係の差による抵抗なのかな、と。




そして、ふたつめがネットという世界に関しての理解度の差。


いまでこそ、ネットも普及して個人でブログを持ったりSNSに参加したりとかはごく普通なことになりましたが、私がホームページを作り始めた8年ほど前だと、そもそも自宅でネットできる人の数も少なくて、ましてホームページを持っているなんて人はものすごいめずらしい存在で、天然記念物に近い扱いを受けたもんです(笑)

ネットで知り合った人達とオフ会で実際に会うのも、すでに10年ほど続けているのでほとんど気にならなくなりました。そりゃ始めての人と会うときちょっとばかりは緊張したりはしますが、それよりもネットで親しくしてきた人に実際に会えるという喜びの方が大きいです。

そうやって実際に会ってしまえば、ネットという場で知り合った現実の知りあい、という立場に変わるわけで、ネット→現実というのは全然抵抗がないどころか、むしろ関係が深くなると自然とそうなる関係だったりします。


でも、その逆は難しい。最近でこそ、SNSのようにそれほどネットに詳しくない人でも手軽に参加できるタイプの場ができてきたので、現実→ネットというパターンな知り合いもちらほら増えてはきましたが、それ以前だとほとんどそういうパターンはありませんでした。

人というのは、自分が知らない世界に対しては奇異な目を向けがちなもので、昔の話になりますが、「ネットを通じて知り合った人とオフ会を通じて出会う」ってのに対しての周りの反応は、「ネットの出会い系サイトで知らない人と出会う」ってのとまったく同一に見られていました。

この辺の「まずコミュニケーションが先にあって知り合いになってから出会う」、ってのと「出会いたくて出会う」ってのの違いは、実際にネットを使ってない人にはどう説明しても分かってもらえることはありませんでした。もしかしたら、ネットじゃない所に理由があるのかもしれませんが、ネットだからってのはやはり大きいです。

分かってもらえず誤解されるんだから、説明しようとは思わなくなるのも自然なことで。そんな訳で、理解度の差からあえて説明したくないというのが二つ目の理由。



最後の三つ目の「違う世界での自分を同一化したくない」ってのは、ネットでこの手の話を見聞きする分ではかなり大きなウェイトを占めると思われる理由。

要は、現実世界の環境での自分、ネット世界の環境での自分と同じ自分でも違う面を見せている独立したものとして考えていて、お互いが干渉するのをよしとしない、ってのです。


現実では学校なり仕事なりという環境での関係があり、ネットでは自分が参加している場の環境に応じた関係がある。違う環境での関係なんだから、当然自分の違う面を見せているわけで、環境が違う場所で出す自分をあえて見せる必要はないというのはうなずけます。
むしろ知られたくないってのが本当なところかな。



ちょっと話はズレますが、私の場合、現実の知り合いの一部にネット上での自分の活動はバレている(あえてバレるという表現にしますが。自分から話したのではなく、他人を通じてや詮索によって知られたからバレるという表現)のですが、現実世界での私とネット上の私の活動記録を見て違う人みたいだと言われたことがあります。


でも、それは、違う人なんじゃなくて、私の違う面を見てるだけに過ぎないわけで。

現実世界だけで分かりやすく例えたら、同期の人と話すのと上司と話すのでは話し方が変わっても別におかしくないですよね。もちろん上司と話すときは敬語を使ったりしますが、同期の人とはざっくばらんに普通にため口で話すわけです。

でも、別に私が同期の人とため口で話しているのを上司が見たとして、「君がそんな話し方をする人だとは思わなかった!」とは普通言いませんよね。TPOに応じて話し方を変えるのなんて、ごく普通なことなのだし。


ネット上だってこれと同じわけで、そりゃ親しい間柄の人達との間のやりとりでは、それなりなざっくばらんな話し方で会話したりします。むしろ、一番気楽に話せる間柄だけに、一番くだけた口調で会話してるでしょう。

別にネットだから別人格になっているとかじゃなくて、単にそれぞれの場所でそれぞれのTPOでの話し方をしてるだけなのですが、ネットになると人が変わるとか言われたら心外な訳で(笑)どっちも中身はいっしょですから。たまたまその人との関係が、そういうくだけた会話をする間柄ではなかっただけなのに、それをさも「ネットだと・・・」みたいな感じ方で捕らえられるとイラッときます。うん、イラッッと(笑)


こういうややこしい思いをしないためには、確かにネットでの素性を現実の方にはばらさないってのが正解な気がします。もっとネットに対する理解が深まって、いらぬ誤解を受けなくなったら同一視してもいいのかなぁと思いますが、まだ現状ではその段階ではないと思います。



私的には、あまり現実とネットを区別したくはないんです。どっちに参加してるのも私で同一な自分だし、両方で人格を使い分けるなんてことはなくて、どっちでも同じ接し方をしていますし。

だから、ネットで知り合って親しくなった人とはオフ会などで実際に出会って、自分の中での現実の知り合いのカテゴリーに入ってもらいたいし、逆に現実の知り合いともネット上でやりとり(例えばSNSとかね)することで、より親しい間柄になれたらな、と思うんです。



両方の世界がいっしょになってしまえば、ネットは単なるツールにすぎなくなります。要は現実というのをネット世界も踏まえた上でとらえる、ってことなんですが・・・そんな未来はあと何年経ったら実現してるんだろう?(笑)