礼節を尽くしても、建設的な議論にならない場合もあること。


愛と苦悩の日記 ? Archive ? 「説明」と独断の境界が極めてあいまいな『ウェブ進化論』の文体」でトラックバックを頂いたので、それに対する返答。

そもそもグーグル自身はこんな「二つの対立した視点」が「かなり前から」存在することなど知らないだろうし、そのどちらを割り当てられるかなど感知しないだろう。この箇所の続きで梅田望夫氏は「『インターネット神への信仰心』のようなものの強さが、グーグルという会社の得意な個性と言えるのである」(p.55)とまで書いているが、まるで宗教のように表現されたのでは、グーグル自身もおそらく迷惑千万だろう。

果たしてグーグルはその「二つの対立した視点」が存在することなど知らないのだろうか?

私はそのような視点が存在していることをグーグルは知っていると考えるし、後者の「ITの進歩によってはじめて可能となる新しい仕組みを是とし、人間の側こそがそれに適応していくべき」というのがグーグルの考える思想なのだ、という印象を梅田さんの著する「ウェブ進化論」を読む前から、他の書籍やウェブ上の記事を読み持っていた。

だからこそ、その部分を説明としてすんなり読めたのだ。決して「ウェブ進化論」だけを読んで、踊らされてそう考えるようになった訳ではない。


あなたが書籍「ウェブ進化論」をどう解釈しようが自由だが、私のことを被害者だのひっかかっただの、右だの左だの、「「あなたの言うところの『ウェブ進化論』の本当の価値」に気づかれるのであれば、「単なる中傷だ」と誤解されても僕は構わない」、などと言われることは非常に不快であり、建設的な議論を進められると思えないので、おそらく私の側からの返答はこれでラストです。



お互いが思う礼節を尽くしても、建設的な議論に発展し得ない場合もあるんだなぁと認識させられたやりとりでした。