「すごい」と感じる気持ち
「naoyaグループ - naoyaの日記 - 自分にできないことをすごいと思う」を読んで。
自分ができないことをすごいと思うって考え方、共感できます。
考える、それをやる、できそうにないことをやる
自分の性格を考えるに、結構思い立ったが吉日でいいと思ったことはどんどんやろう!って面があるのですが、その反面、石橋を叩いて散々調べた挙句、結局渡らない的なやる前にいろいろと考えすぎてしまう面も持っていて、そんな面がせめぎ合いつつ、実際の行動に至っていたりします。
なので、まず「何かを思い立って行う」という行動することに対して、何かを行っている人ってのは、行っていない人よりもずっとすごいと思っています。何かを考え付くのが1だとしたら、それを行動に移すのは10すごい。
さらにそれが自分が断念したことだったり、自分ではできそうにもないことだったりしたら、大きく株価は上がります。自分にできないことをやってる人は100すごい(笑)
人というフィルタ
本来、「何かをやること」ってのは、それが誰がやったかに限らず、等しく素晴らしさ、すごさを持つと思うのですが、実際はそれが誰がやったか、という人のいうフィルタを通して見てしまう。
身近な人がやったことってのは、その人との距離感が近かったりすると、どこかすごさを感じなくなる感覚はあると思う。やったことの詳細が分かって感じるすごさが小さくなったり(感じるすごさの中には、自分の知らないことに対する畏怖の念ってのも大きい気がする)、あの人ならそれくらいやって当然だろうって思ってしまったり(すごい人が当たり前にやってることは普通に見えてしまう理論)。
すごいと感じること
すごいと感じるのって、とても大事なことだと思います。
日々の生活に追われて周りが見えなくなってるときって、すごいと感じられなくなります。子供の頃って、いろんなことをすごい!って思いましたよね?
すごい! みんなにも教えてあげよう。
すごい! 自分もやってみたい。
すごい! 自分も負けてられない。
すごいって感じるのは、人が何かを為すための原動力。
ネット上でいろんな人の考え、行動を見たり、コミュニケーションすることで、すごいは広がっていく。
正のフィードバック
お互いの悪い面を非難しあうようなコミュニケーションよりは、お互いの良い面を褒めあうようなコミュニケーションの方が結果的に得られるものは大きい気がします。褒めたら伸びるっていう。
悪い面を指摘されることで、自分の欠点に気づくことが出来ますが、それよりも負の感情を溜め込んでしまうことの弊害の方が大きそうだし、非難しあうってのは、お互いの足を引っ張り合うってことでもあります。
2chを見てると上記のようなことを特に強く思います。非難しあうような殺伐とした板からは生まれるものはほとんど無いのに対し、ノリや雰囲気であっても互いの+な感情が多い板やスレッドからは多くの得るものがある。
「そんなの当たり前だろ」「そんなことも知らないのか」「ツマンネ」って書き込みで満たされるのはそれを書いた人だけ。書かれた人はイラッとするだろうし、他の人には何も与えない。
「それはココで分かりますよ」「こんな考えもあります」「面白い意見ですね」って書き込みは、書かれた人は嬉しく思うだろうし、他に見ている人にも何かを与えてくれる。
まぁ、みんながみんなそういう書き込みをするってのは、それはそれでちょっと気持ち悪い状況ですが、いざこざで不毛にストレスをためあうよりはずっとマシなんじゃないかと。たまーに2chに書き込むときは、そんなことを思いながら書き込んでいます。