何かを生み出す欲求


デジモノに埋もれる日々: 今日もまた何かの欲求に抗えずに、プログラムを書く、そして文章を書く。
明日は明日の風が吹く - 今日もまた何かの欲求に抗えずに、プログラムを書く、そして文章を書く。(from デジモノに埋もれる日々)」を読んで。

プログラムを書く、文章を書く、他にも人によっては、イラストを描く、音楽を作る、映像を撮る、料理を作るなどなど、いろんなものを生み出す欲求があります。

人が作ったものを見て、聞いて、楽しむのが好き(漫画にゲームに映画にアニメにブログに、みんな誰かが作り出したもの)なので、何かを作り出すクリエイター気質な人を非常に尊敬するのですが、一方で自分の中にもそういう何かを作りだしたいという欲求はあります。

子供の頃、数百行の BASICプログラム が載っている本を見ながら、 
その数百行を、意味も分からず延々とMSXに打ち込み、 
最後にRUNと入力すると意味の分からない エラーメッセージ が、
ぽつりと表示されました。あのときの脱力感と、自分自身でそれを
直せないと悟ったときの悔しさが、私は今でも忘れられないのです。

私もその当時、BASICに対して同じようなことしてました。日曜の朝、なぜか朝5時とかに目を覚まし、朝飯を自分で作って食べた後(当時から料理は好きでした)ひたすらPCに向かって雑誌のBASICプログラムを打ち込み、もちろん簡単には動かないそれを、マニュアル首っ引きで動くまでひたすら修正して、BASICを覚えました。マニュアル見すぎてぼろぼろになって、セロハンテープで補強してたのを思い出します。4時間かけて打ち込んだデータが、停電でセーブする前にまっさらになっちゃったり(それからこまめにセーブする癖がついた)、片手で本押さえて、片手でキーボード打ってたから、妙な片手タイピングを覚えちゃったりとか、いろいろありました。

そうやって自分が打ち込んだプログラムデータが、320kBだかのフロッピーディスクいっぱいになったときは、なんか妙な充実感がありました(笑)


自分が好きなゲームをPC上のプログラムで作り出せるという構築の楽しみ、自分で0から作り出したわけではなくても、プログラムをいじって理解すれば、それをいじって別のものを作り出すこともできる。そんな世界に惹かれてプログラミングに夢中になってた時代がありました。今もPerlをちょっといじってるけど、当時ほどの時間的余裕がないので、そんなに夢中になれてないなぁと感じます。

睡眠時間を削ってまで書いて、それで儲かる訳でも何でもない。寧ろ、仕事に影響が出たら、ボーナスが減りかねない(笑)。でも、書きたい。書いているのが楽しいし、書かない日は多少もやもやする(笑)。こうなるとやはり、「生命的な根源を持つ欲求」なのかな、と思ってしまう。本当に。社会人デビューの雑文書きなのに、そこまで思うようになったよ。パソ通と出会った事は大きかったんだなぁ……

私もパソ通で人とやりとりしたり、文章書いたりする楽しさに目覚めた派のひとりですが、なんで文章書くの?って言われたら、やっぱり「好きだから」としか言いようがないんですよね。自分が書いた文章を見て誰かが反応してくれる楽しさ、もちろん普通に会話したり、電話したり、そういうのでもいっしょなんですが、より多くの人とコミュニケーションできるネット上での文章書きはやめられません。

ブログだと「文章を書いて公開する」ってところまでがワンセットになっていて、1:1のコミュニケーションではなく、1:不特定多数のコミュニケーションで、この点を有効に使えれば非常に快適にコミュニケーションできるし、扱いを間違えてしまったら炎上騒ぎになってしまう。


多くの人が作り出したいろんなものを見たり、聞いたりするのが好きなだけに、逆に自分も誰かに楽しんでもらえるような何かを提供したい、って考えが私の場合、どこかにあるのかもしれません。あと、自分の好きなものを多くの人に知って欲しい欲求とか。あとは、普段あまり話す機会のない自分の考えを、それを理解できる人に聞いて欲しいって欲求とかも。


そんなこんなをつらつらと書き綴っているのがこのブログ。


何かを生み出したい欲求を持っている人にとって、ブログってのは非常に便利なツールなんだと思います。