インターネットを知的に捉えてみる
「インターネットは知的に死んでいるか|HogeHoge World(from 明日は明日の風が吹く)」を読んで。
インターネットは知的に死んでないと思いますよ。
私の見解は、「情報交換器官である脳は、たとえ無意味でも
情報交換を求めるものであり、脳化社会においてはその欲求は肥大する傾向にある。
その欲求不満を解消するため」です。
言い換えれば、「単なる自然現象で、それ以上の意味はない」という見解です。
個人のモチベーションとしては、情報交換を求める自然現象から発するものなんでしょうが、それらが集まった結果生じるインターネット自体は、一人一人の思考や知識が集まって、まるでそれ自体が大きなひとつの脳であるかのようなそんな知的集合体である、と私は思っています。
インターネット上に存在しているさまざまなシステムやサービス、それらが知的であるかどうかは捉え方次第かな?
- ダウンロードが多く、アップロードが少ない
- 人々の多くは情報の受身側であり、発信しようとする人が少ないのはインターネットの特性自体とは関係がない
- インターネットの相互の意味は、それぞれの発信者同士が相互にやりとりできるって意味かな?
- 知的交流を実感するためには、まず自分の側からどんどん発信、交流を行う必要がある
- BBS
- 全体的に見ると価値の低い情報、誹謗中傷、他愛もない話が多くても、その中に有用な情報があることも多い
- まともな議論は互いに議論のルールを守れる人同士でしか為しえないため、BBSではなかなか見られない
- ブログ
- ブログはニュースソースではなく、ブロガーの意見的意味合いが強いように思う
- 個々のブログエントリ自体で見ると、たいしたことが無いように見えても、それらが集まるとマスコミなどが作り出す情報ではなく、真の民意を反映した情報となる
- YouTube
- テレビ局では絶対になしえなかったオンデマンドテレビを実現させつつある
- 文字では言語圏によって交流が難しい文化も、映像だと言語の壁を乗り越えられる
- 携帯電話やメール
- 個々の相互思考のやりとり、コミュニケーションはなしえているが、そこでおしまいで広がりはない
確かにインターネット上の情報を見ていると、到底知的活動とは思えないようなものだったり、ノイズだったりするようなものが大量に目に付くけれども、しかしその中でしっかり知的活動足りえているものも多数存在してると思います。ただ、それが万人に使いこなせている状態まで進化したわけではなく、今はまだ先頭をひた走っている一部の人々だけが知的活動を担っているだけの話。
もっともっと多くの人が知的活動のためにインターネットを有効活用できる未来に向けて、じわじわと成長しつつある段階なんだと思います。
歩みは非常にゆっくりだけど、足を止めずに歩んでいかないといけない。
インターネットが知的活動足りうる、自分を含め多くの人々の可能性を広げてくれると信じているからこそ、より多くの人にそれに参加してもらうためにはどうしたらいいのか、と日々ブログを書くことで考え、それを読んでくれる人にも広まったらな、と思うんです。
■関連記事