他人の盛り上がりを分けてもらうか、自分の楽しさを広めるか


ロケット姉妹(仮) - みんなと同じゲームをプレイし、みんなと同じ感想を持つゲーマーが勝ち組」を読んで。

あるゲームのネットでの盛り上がりさ加減も含めてそのゲームの面白さとするのならば、そして、ゲーム自身の面白さよりもネットでの共有体験の方に魅力を感じるのならば、そうなのかもしれない。


もしネットでの共有体験の方に魅力を感じるのならば、ゲーム購入のスタイルを自分が面白そうと思ったゲームを買うというものから、ネットで盛り上がりそうな、また盛り上がってきたものをいち早く発見し、それを買うスタイルに変える必要があるだろう。



でも、ネットでの共有体験を作り上げてるのは、そのゲームをプレイしたユーザーたちで、確かに大勢にわいわいと盛り上がっている場所に参加できた方が楽に楽しい思いをできるのかもしれないけど、たとえ少数派であったとしても、あるゲームの体験を語り合うことができるのはそれ自体で楽しめたりしないだろうか?

マイナーなゲームの話で盛り上がるのって、それはそれで楽しくありません?


ゲームをプレイしだしてもうかなりになりますが、自分が好きだったゲームは必ずしもヒット作ばかりではなく、ほとんど誰も興味を示さないようなゲームだったり、一般的にはクソゲーの一言で片付けられたりするようなものもいっぱいプレイしました。ネット上でゲームについて語り合えるようになった10年ちょっと前から、いろんなゲームについて、いろんな場所で、いろんな人と語り合ってきましたが、記憶に残っているのは大勢で盛り上がったゲームもあれば、少人数でこじんまりと盛り上がっていたゲームもあります。

ネット上で前評判があまりよくなかったにもかかわらず、何かそのゲームに惹きこまれるものを感じてそのゲームについて語り合い、ゲームを購入してからも、そのゲームについて少ないメンバーながらも大いに盛り上がって語り合い、わいわいと騒いでいるうちにそれを見たゲーマーが興味をもってくれてそのゲームがじわじわと売れてそこそこのブームになった、なんてことも何度か体験しました。

記憶に残ってるので言えば、セガルーマニア203とか、ジェットセットラジオとか、、、なんかセガのゲームってそういうタイトルが結構多かったような(苦笑)




むしろ、マイナーなゲームを好きだったからこそこういう体験ができたわけで、ネット上でのゲームに関する共有体験ってのは大勢の流れの中を流れに乗って漂うだけじゃなく、自分からそのゲームに対する思いを発信し仲間を集めることでそれ自身も楽しむことができる要素なんだ、って捕らえています。


大勢でわいわいと盛り上がるのも楽しいけれど、楽しみ方は何もそれひとつじゃなく、少ない仲間内で濃い盛り上がり方をするのもありだし、そのゲームの面白さをみんなに伝えることでより多くの人にそのゲームを知ってもらって大勢に共有体験してもらうって、そのゲームのコミュニティを広げるって楽しみ方(なんかそれ自身がネットゲームのようですね(笑))ってのもまたありかと。


難易度高いゲームを目の前にして、よしクリアしてやるぞ!と意気込むのと、あまり人気ないけれども、でも自分は好きなゲームを目の前にして、どっかにこのゲームの楽しさを共有体験できる人いないかなって情報発信するのは、どちらも私にとってはゲームを楽しめる要素のひとつです。



「ゲームの体験を人と話す楽しさ」ってのは、何も参加人数だけで決まるんじゃなくて、どれだけ密度の高い会話ができたか、とか、そのゲームの楽しさを人に知ってもらって会話に参加してもらえたか、なんてのも楽しさの尺度。

要は楽しそうに語っちゃった者が一番勝ちなんじゃないかと。そもそも勝ち負けとか争うものでもないですけど。マイナーにはマイナーなりの楽しみ方がありますよっと。