発言するという行為においてブロガーはフラットな関係


CONCORDE: 続・「個性の実力」─測れないけど、なにかがちがう。」(from 明日は明日の風が吹く)を読んで。

ぼくはブログに書かれた文章は、アルファだろうがなかろうが、すべて尊いと思っています。フラットであるべきではないのか。

に対して、

(結果からすれば)それは幻想ですよ、と。

という反応。私もこれに同感。


ブログに書かれた文章は、それが誰によって書かれたものであろうが文章という意味ではフラットでしょうけど、それを読んだ人がどう受け止めるかは文章によって違うのが当然。素晴らしい文章もあれば、読むに耐えない文章もある。

誰もが自分の場所を作って発言できるという機会の意味ではフラットだけども、書いたものが人にどう受け止められるかは、その文章の質、面白さだったり、着眼点の鋭さ、論理的な思考、痛快なつっこみ、人を引き付ける文章の魅力はいろいろあるでしょうが、そういうものを持った文章が多くの人の注目を浴びます。



素晴らしい文章をいくつも書いていれば、多くの人の注目を浴びることとなり、巷で言われているアルファブロガーなんてのも、そうやって注目を浴びている人々の一部を称した名称なのでしょう。


ただ、このアルファブロガーってのは、別に「俺がアルファブロガーだ!」と自分から誰かが言い出した訳ではなくて、多くの人に影響を与えるような記事を多く書いているような著名なブロガーは誰か?という、他薦で決められたもので「アルファブロガーなのに、こんな記事を書くのはおかしい」って批判は、ちょっと筋違いな気がします。

Lifestyle Innovation for Bloggers 思考の翼をひろげて。 - アルファブロガー批判。」で、アルファブロガー批判と称して、あるブログエントリの批判が書かれていますが(どうみても「404 Blog Not Found:書評 - フューチャリスト宣言」のことなのでしょうが)、そのエントリの内容がおかしいと思うのなら、アルファブロガーうんぬんに噛み付くのではなくて、素直にそのエントリの内容がおかしいと批判すればいい気がします。


ブログを書いて発言するってのは、そのブロガーの立場に関係なく誰にでも公平に行える、フラットな行為。今日始めてブログを書く人が、アルファブロガーの記事に批判記事を書いたって何も問題ありません。