Webでの評価は自分から書かないと変わらない

「何かを見たり・聞いたり・使ったりして感じたものが、
世間(ネット界だけど)とずれていた時には、
ずれて感じたお前がおかしい」
と言うような方向へと向かって欲しくない、ということ。

大きな影響力を持つ人の発言だけでなく、ある発言の集まりにおいて意見の流れというか、色みたいなものができてしまって、それ以外の意見はおかしい、という空気になっていることって確かによくあります。

同じモノを見たとしても、全員が同じ感想だなんてありえないし、いろんな見方があって当然だと思うんだけど、一方で人々が意見を発言するときには同じような意見を探して、同調しあうことで盛り上がり、自分は多数派なんだ、この感想は正しいんだって思う心理が働きやすい。


感想に正しいとか正しくないとかなんてないはずなんですけどね。その人がどう思おうがその人の自由なわけだし。

そんなこと言いはじめると何も書けなくなってしまう
と言う結論になってしまうが、
感想も自由にブログで言えないというのもなんだか変だとも思う。

この辺の落としどころが非常にむずかしいので、
俺は今のところ、本の感想やら映画の感想やらは
書かないという保留的態度を取るしかない現状である。

もっと多くの人の感想がWeb上に溢れて、ひとつの流れに固まることなくいろんな感想の多様化があってもいいんだって流れになって欲しいと思って、自分が見聞きしたものや体験したものの感想はどんどん書きたい、と思うのですが、時間のなさと思ってることをなかなかうまく文章にできないってのがそれを妨げています。


とにかく、自分の感想、考えを書かないことには、Web、そしてそれを取り巻く人々は何も変わらないってことは確かかな、と。