コミュニケーションを求めていない人に見つかってしまう確率


Life is beautiful: 「心地よい双方向コミュニケーション」が不可能になる臨界点の話」を読んで。

ブログは、それを書いているブロガーとそれを読む読者との間のコミュニケーションの場だったりするのだけども、そのコミュニケーションが心地よくあるか、殺伐としたものとなってしまうかには、臨界点があるのではという話。

以前に梅田氏と話した時に、彼が「ブログも一日3〜4千ページビューぐらいまでなら問題ないのだが、それを超したあたりから『心地よさ』が失われる」と言っていたことを思い出す。別の言い方をすれば、数千人の常連さんだけを相手にならば「心地よい双方向コミュニケーション」を確立することも可能だが、それを超すと「心ない一見さん」(=ネットイナゴ)が負のオーラをまき散らし始めるので困る、ということである。

読者の数が増えて、それがある程度の人数となると「心ない一見さん」がやってくるようになる、というのは確かにあるかもしれない。コメント欄に変な人が沸いたり、2chから反論で叩くのを目的としてやってくる集団(=ネットイナゴ)などのように。

あの手の刺激の強いエントリーを書くと、一見(いちげん)さんがたくさん押し寄せ、そのエントリーだけで私の人となりを判断できると誤解した上で、「アメリカのことばかり褒めてどうするの」「安倍さんに言ってもどうしようもないでしょ」とコメントを残して行く。誤解ぐらいならば良いが、何を考えたか内容の批判ではなく筆者(=私)を批判してくる人までいる。誤解を解こうと次のエントリーを書いても、一見さんなので読んでもらえる保証はない。

ブログを書いててつくづく痛感するのは、ブログに自分が書いた文章を読んで、それを読んだ読者がどう思うかってのは本当に千差万別なんだな、ってこと。

なるべく誤解されないように言葉や文章を吟味したり、分かりやすい構成に直したり、簡潔にまとめたり、といろいろ苦労して文章を書いても、全然自分の意図してなかったような読み方、感じ方をされることも良くあります。

もちろん、自分の文章の拙さが原因な部分もあるのだけれど、人は文章を読むときにどうしても自分の主張、自分の気になる部分を心に持ちながら読んでしまうってのがあって、同じ文章から全く違う解釈をしてしまったりなんてことはごく普通にあることなんだ、と思うようになりました。(はてブコメントを見てよく思います)


そのような誤解を元に書き手を批判しにやってくる人は、書き手が思ってもみないことを思っていると勝手に解釈したまま攻撃してくるからたちが悪い。そもそも意見を交し合ってコミュニケーションしようとしてやってくるのではなくて、叩くため、叩くことを目的としてやってきてるから、誤解をとこうとして説明しても、それを更に誤読して突っ込んでくる。

コミュニケーションは双方が意識して始めて成立するものだから、一方的に自分の考えを述べる人や叩くのが目的でやってきてるような人とはまともなやりとりにはならず、ひたすら場が荒れるだけになってしまいます。



多くのブロガーは読者や他のブロガーとのコミュニケーションのためにブログを書いていますが、世の中にはただ自分の主張をぶつけたいだけの人や自分の気に入らないことを叩きたい人もいて、読者が増えて多くの人の目にブログが晒されるようになると、そういう人たちの目に付く確率が上がるってことなんだと思います。


これって、有名税みたいなものなのかもしれないけど、ネットの成長を妨げる大きな要因のひとつになってそうですね。