Webでコンテンツに対する評価の方法が変わることを望む


Webはモノ作りにいかに関わっていけるのか Part2(1は省略) - シナトラ千代子」を読んで。

Webにおけるもの作りとそれを見守る人々の話。

なんだかネットを支持するひとには「マス(市場)に認めらるか、そうでなければダメか」の二択から「いかにして個人の作り手が経済的収入を得られるか」へとシフトするような考えでいる(というかそこがスバラシイと言ってる)ひともいるようだけど*2、おれはそれよりも「だれかに支持されるか、否か」の二択へとシフトしていくような気がするのです。一般に経済的な仕組みが入ると評価がややこしくなる*3から、たとえばはてなスターとかブクマみたいなもののほうが評価の仕組みとしては幅が広くて普及しやすい、と考える。

ネットで変わっていく新しい世界ってのは、多くのいままで受けてで見ているだけだった人たちががいろんなコンテンツを評価できるってのが一番大きな気がしています。


この評価ってのは、何でもよくて、例えばはてなだったらはてなスターはてなブックマークはてなダイアリーのコメントとかトラックバックでの言及、投げ銭なんかがあって。

投げ銭は経済的な仕組みなので他の評価とはちょっと違うんだけど、私はこれが他の評価とうまく連動すればいいのにって思ってます。今ははてなブックマークだけだけど。



評価するときに、必ずしも経済的な評価が必要だとは思っていないけれど、でも、経済的な支援をしたいって人が経済的な支援を行うことができる仕組みってのも重要だと思うんです。それこそ投げ銭のような投げたい人だけが好きな額を投げられるっていう仕組み。このときの支援ってのは、いいコンテンツをありがとうという意味での支援であって、支援した分何かをよこせ!ってものじゃないのが大事。



ある日突然そういう経済的な評価が広まるなんてことはなくて、ものすごいじわじわと広がっていくものなんだろうけど、じわじわ広がっていくことでコンテンツのあり方、存在の仕方を変えていく。


いままでは、お金を払ってコンテンツを購入して楽しむという形だったのが、自分が納得したコンテンツにお金を払うという形に変わっていくというのは、物理的な流通のコストが限りなく0に近くなるネットでのコンテンツ流通とあいまって、より多くの受け手側の支持を得た良い物が評価とお金を得られる世界になるということ。



そんなに簡単にそういう世界になると楽観視してるわけじゃないけど、じわじわとでもいいからそういう方向に行ったらいいな、と思う。当りか外れか分からないコンテンツにお金を払うよりは、自分が納得したものにお金を払いたい。