同じ魔法の杖なら使い勝手のいい方を選ぶ


「魔法の杖」のもたらす魔法(2007年版) - shi3zの日記」を読んで。

実際問題として、日本において携帯は「魔法の杖」に限りなく近づいている。
家の鍵になり、財布になり、定期券になり、銀行のATMになり、航空券のチェックインカウンターになる。
かつてアーサー・C・クラークは、「充分進歩した科学は魔法と区別がつかない」と言っていましたが、まさにこの言葉は今の日本の携帯電話にこそ相応しいと言えるでしょう。

携帯電話の進化っぷりは、目を見張るものがありますね。たかだか十数年前にはほとんど存在していなかった携帯電話がどんどん進化していき、途中からはネットとの融合を行いつつ、気づいてみれば正に「魔法の杖」と呼んでも差し支えないくらいになってしまいました。

15年前に戻って、その辺を歩いている人に携帯電話を見せたら驚くでしょうね。電話はできる、音楽も聴ける、店で買い物もできる、テレビも見れる、ゲームもできる、遠く離れた人から文書が送られてくる、などなど。


サービスに満足できないとき、人は複数台の端末を持つ


携帯電話といえば、ちょうど出始めの10年くらい前の時期に、多くの人(注:ネットを通じて知り合った人達で明らかに一般人とは異なる)が携帯を複数台持っていたのを思い出します。当時は電波が入りにくくて、そのために複数の携帯会社の端末を持ってるなんて人が結構ザラにいて、ちょっと集まると喫茶店や飲み屋のテーブルの上が明らかに人数より遥かに多い数の携帯で埋まるという(笑)


それから携帯も進化してエリアも広がり、ここ数年は一人一台ってのがすっかりなじんでいたような気がしますが、ここ最近になってまた一人複数台携帯を持つような人が増えてきているように思えます。今度のは、単にエリアの問題ではなく提供しているサービスが一社では満足できなくて複数台の端末を持つという流れ。



10年先を考えたら、今ほとんどの場所で普通に携帯で通話できるような感じで、どこででもネット接続可能になっているんでしょうが、そうなるまでのこれから数年間はいろんな通信会社のサービスを併用しつつ、どこがいいか見極めていく必要がありそう。

だから、この時期に携帯電話の契約が2年縛りだったりするのは結構つらかったり。


携帯電話はモバイル情報端末になれるのか?


携帯電話自体もさまざまな機能と取り入れてどんどん進化していますが、モバイル情報端末として考えると、海外だとスマートフォンと呼ばれるような明らかに情報端末としての方向性に振った製品がでてきています。

同じようで微妙に軸がずれているこれらの製品、とかく日本独自路線が多い日本の携帯が今度どうなっていくのかは気になりつつも、世界から取り残される、もしくは別展開になってしまうんじゃないかという不安も。



最近、iPhoneっぽくハックしたiPod touchと日本の携帯電話の両方をいじってて、携帯という同じ方向性の製品のはずなのに、どうしてここまで違っちゃうんだろう、と感じています。

多機能になり、電話帳のようなマニュアルがあるけれど、それを首っ引きで見てもやりたいことができない日本の携帯電話、一方、マニュアルらしいマニュアルも存在しないのに、ほぼ直感でやりたいことをサクサクできるiPhone

もちろんiPhoneにも欠点はありますが、同じ方向を見ているようで、見据えている先があまりに違う。



早ければ来年?、もしくはそれ以降に日本にもiPhoneが入ってくるのでしょうが、そのときにユーザーがどんな反応を見せるのか。